料理もライフスタイルも元気がよくってセンス抜群のケンタロウ・ワールド
1歳半にしてキッチンに立つ。米とぎ修業に励んだ小学生時代
こぼれるような光が射し込む、明るく清潔なキッチンスタジオ。足首まですっぽり覆う長いエプロンをピシツとしめて、ケンタロウさん、いざ料理開始!ボブ・マーリーをBGMに、野菜を刻むリズミカルな包丁の音。フライパンを操る手つきもあざやかそのもの。あ、ニンニクのいい香り。これなら絶対、おいしいものが出てくるに違いない。思わずワクワクしてしまう、そんな頼もしい後ろ姿だ。
いまや料理家として雑誌にテレビに引っ張りだこの、ケンタロウさん。若いのに、料理歴はえっと驚くほど長い。「僕自身の記憶はないんですが、ものの記述によると(笑)、最初にキッチンに立ったのが1歳半ぐらい。2歳で、米びつから電気釜の内釜へ米をはかって移すという、”米ばかり”の仕事を任命されていました」やがて米とぎもまかされるようになり、米とぎ&インゲンの筋とりの長い修業時代が始まる。ひとつ年上のお姉さんと交代で2日に1回は夕食のための米とぎ。たとえ友達と遊んでいても、「ちょっと1回米といでくる」と中抜けして家に帰る、ヘンな小学生であった。
「イヤでしたけど、自分がやらないと、ゴハン食べられないんで(笑)。小さいからといって、キッチンで遊んでるという感覚はなかったな。もっと厳粛な気持ち。カツ代(母であり大先輩の料理家にあたる)はうるさいこと言わないし、厳しくもなかったんですが、そういう姿勢は伝わっていたんだと思いますね」米とぎから一歩進んだのは中学時代。勉強の名のもと、夜遅くまで起きている権利を勝ち取ったケンタロウさんは、いそいそと夜食作りに励む。また、母親がいないときの家族の食事作りも担当するようになっていた。
「近所の商店街に買い物に行くだけなのに、髪はびしっとセットしてました。でも昔からなじみの店ではまだチビツコのままの扱い受けて”焼き芋持ってきな”なんて言われてね。焼き芋ほおばりながら、ネギぶら下げて帰ってました」その頃から料理本を見たりせず、自分で工夫して作っていたというから、才能というのはスゴイ。初めてレシピどおりに作ったのは大学生のとき。カツ代さんのレシピの中でも名作の誉れ高い、”フライパンで作る肉ジャガ”だった。「カノジョの家に遊びに行くのに、お父さんの、コキゲンをとろうと思って。これ以上ないってくらい、おいしい肉じゃが、作りました。
本当においしくて、あのときのがいままででベスト1ではないかと思うほど。素人時代にプロとしてはあるまじきことなんですけどね」これほどの腕前をもちながら、ケンタロウさん、じつは料理の道に進むとは思っていなかった。美大時代に、まずイラストレーターとして仕事を開始。一方で、レストランの厨房でアルバイトしていたが、毎日同じものを作らなければならない仕事は自分に向いていないと判断。カツ代さんのもとでスタッフとして働き始めた。
「外の世界を見たほうがいいという声もありましたけど、でもかえって身内のところではどうやってもサボれない(笑)」そのうちケンタロウさん個人に仕事が舞い込むようになり、簡単でいながらお酒落なレシピ
が受けてあれよあれよというまにいまのような人気者に。それでも、「気がついたら料理家になってたんですよね。僕はあくまで”料理のできるイラストレーター”でありたいと思ってたんだけど」と笑うケンタロウさんなのである。
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