反乱のボヤージュ
 
  漂うように生きる、僕ら。情熱を置き忘れた、彼ら。失われた父性を取り戻す戦い 吉川栄治文学新人賞受賞第一作 **僕たちの場所を守るために ! 薫平たちの戦いが始まる **  
著者
野沢尚
出版社
集英社
定価
本体価格 1600円+税
第一刷発行
2001/4/10
ISBN4−08−774517−1

第1章 断絶

「弦巻寮に居座ることはもとより、仮宿制度などと称して一般学生が弦巻寮を使用することも違法である!」
学生課の掲示板の前を通りかかると、B4判の紙を四枚くっつけた「警告書」の文句が目に飛び込んでくる。
他の掲示物は真っ白なのに、そこだけドス黒い赤色を地にして文字が躍っているからやけに目立つのだ。

ご丁寧に、キャンパス内の地図はわざわざ寮の建物の部分にガムテープで目隠しがされている。
いつも思うんだけど、大学側がやっている「廃寮キャンペーン」ってやつはいたつて幼児的だ。
それでも首都大学という知名度、信頼度ナンバーワンの大学当局から「弦巻キャンパス内の一部が無法化している」と言われたら、地方から出てきて大学に通い始めた一年生は恐れおののいてしまうだろう。

東急田園都市線桜新町駅から歩いて五分に位置する首都大学弦巻キャンパスは、医学部、工学部、理学部と、文学部、教育学部、経済学部の全学生を呑み込んでいる。
通りを挟んだ向かい側には陸上自衛隊の用賀駐屯地があり、サラブレッドが闊歩する馬事公苑があり、少し足をのばせば広大な砧公園がある。しかも渋谷まで電車で十分程度の距離。環境としては申し分ない。日本の官僚組織に多くの人材を送り込んでいるこの大学に、日本の受験戦争をトップレベルで勝ち抜いてきた若者たちが集まり、受験勉強で犠牲にしてしまった日々を取り戻そうと、最初の二年はとにかく遊びまくる。

「首都大生」というブランドをちらつかせて合コンで甘い汁を吸う奴もいる。
「後半の二年間で超氷河期の就職戦線に戦いを挑んでいくならば、大学における最初の二年は人生最後の休暇に違いない」と、テレビで評論家が言っていた。
ということは、今、僕はバカンスの真っ最中ということか?

まだ色づくまでには余裕のあるキャンパス内の銀杏並木を抜けると、去年建て直されたばかりの生協が見えてくる。
隣接する学生食堂は太陽をぎらぎらと撥ね返す総ガラス張りで、大学側が提唱する「弦巻キャンパス整備計画」の象徴としてそびえ、腹を空かせた学生たちを集めている。
僕の腹も鳴っている。睡魔との戦いだった「西欧文学史」の講義がやっと終わり、東京ドームがすっぽり四個は入る広さのキャンパス内を、徒歩で縦断してきた。
が、僕が目指す場所は学生食堂ではなく、その真向かいに建つ、蔦の絡まる古色蒼然とした鉄筋三階建てだ。

緑の蔦を手でかき分ければ、すすけたコンクリートの地肌が六十五年の歴史を染みつかせている。
甲子園球場の親戚のような建物、と評した関西出身の学生もいる。これが弦巻寮だと知らない部外者は、「どうしてこんな廃嘘が取り壊されもせず、キャンパスの中心にデンと残っているのか」という目で一瞥する。

カツカレー四百五十円。日替わり定食五百五十円。
これが学生食堂の値段だが、弦巻寮に住む学生たちは寮の食堂で毎日三食をタダで食べることができる。

もちろん月々の寮費に食費分も含まれているんだけど、感覚としては毎日食い放題だ。
だから午前中の講義が終われば、僕ら寮生はガラス張りの学生食堂に背を向け、寮の玄関をくぐって真昼でも薄暗い廊下を通り抜け、どこか昭和初期の病院の外科室を思わせる総タイル張りの、夏は蒸し暑く、冬は冷凍庫の寒さになるという食堂に、三々五々、集まってくる。

「本日の昼食は豚肉の生姜焼き。希望する者は氏名を記すように」食堂の扉に小さな黒板が掲げられていて、朝食が終わるまでにそこに名前を書いておけば、食堂担当主任、平たく言えば「賄い婦」の日高菊さんが、人数分の昼飯を用意してくれる。
今日そこには、僕「坂下」と「茂庭」という二人分の白墨文字しかなかった。

寮生六十九人のうち二人というのは極端に少ないが、そういう日もある。
徹夜マージャンで昼過ぎまで寝ている奴もいれば、一般学生との付き合いで近所のラーメン屋に行く奴もいるわけで、日によって利用者の数はまちまちなのだ。生活費を切り詰めようと固く心に誓っている僕とか、一日三回食堂に来ることを何よりの楽しみにしている茂庭先輩のような学生が、ここの常連である。

靴底からもひんやりとしたタイルの冷たさが感じられるようなフロアに、木製の長いテーブルと長いベンチが五列並んでいる。
壁はぶ厚く、柱は中世の王宮のように太く、天井はやたらと高いというのが弦巻寮の基本構造だけど、食堂はその上に「みすぼらしいわりには日当たりがよい」という点が加わる。
西に面した壁には天井まで届くほどの大窓があって、初秋の陽光をふんだんに招き入れている。

今頃の季節は快適なのだが、真夏は直射日光がタイルの床に眩しいくらい反射し、旧式のエアコンが騒音をたてながらフル稼働しなければならない。
今年の夏は大学側が送電をストップするという暴挙にでたため、冷房なしの食堂で汗をダラダラ流しながら冷やし中華を食べる羽目になった。

チェック模様のテーブルクロスでも掛ければ、昭和初期の外科室というイメージから、せめて場末のイタリア食堂に昇格できそうなものなのに、去年の夏から雇われている日高菊さんは、そういうことに気を遣う細やかな神経など持ち合わせていない。

うまいメシを食わせりゃいいんでしょ。菊さんはハイライトをくわえた口をひん曲げ、紫煙がしみる目で僕らを見やり、薄笑いでそう言うだけだろう。
厨房で競馬新聞を読んでいた白い割烹着の菊さんが、僕が食堂に入ってきたことを気配で感じるや、振り返りもせず立ち上がった。
おそらく今日二箱目となるハイライトをステンレスの灰皿で潰し、フライパンに油を引いた。

「焼き方はレア?それともウェルダン?」なんて菊さんが言うから、「よく焼いて下さいよ。豚肉の生姜焼きでしょ」と、冗談の通じない僕は真面目に答える。
可愛い奴、と言いたそうに、菊さんは口を曲げて笑っている。細切りレタスが敷き詰められた皿に、生姜焼きが「ジュワッ」とフライパンの端で音をたて、盛りつけられる。
空腹が悲鳴をあげる。菊さんの生姜焼きは僕の大好物のひとつだ。朝食にも出た豆腐となめこの味噌汁。

そして麦が三割入った御飯がてんこ盛りにされる。
「あ−、そんなには食べられないですよ」
「だからチビなのよ。

頑張って百七十センチを超えなさいよ」十九歳。
育ち盛りの時代は通り過ぎていて、今から大食いになったところで身長百六十八センチはもうどうしようもないと思うんだけ、ど。

菊さんは大きく切った沢庵を御飯のてっぺんに二切れ、のっけてくれた。
盆を持って席に座る。すでに茂庭先輩がいた。生姜焼きの脂身を箸で丁寧にそぎ落とし、御飯をゆっくりと噛みしめるように食べている。

先輩は首都大サッカー部のエ−ス・ストライカーだ。関東一部リーグでは毎年下位チームに甘んじているけど、スペインのクラブチームからの誘いもあるという、弦巻寮にとっては「寮存続」を訴える際の大切な広告塔なのだ。

ボールをヘディングしたら突き刺さりそうなほど、短く切りそろえられた髪が天に向かってとんがり、筋力トレーニングで鍛えられた肉体はぶかぶかのトレーナーに隠されている。
「来週の試合、ゴール量産、期待してますからね」茂庭先輩は、駄目かもな、と醒めている。

大学リーグの得点王は射程圏内にあるというのに。
先輩が食事しながらチラチラと目を走らせている先には、厨房の菊さんがいる。先輩がこの食堂を欠かさず利用しているのは、生活費の切り詰めとは別に、確固たる理由があることを僕は知っている。

菊さんのことが好きなのだ。多分ね。茂庭先輩が食堂の常連であるということや、菊さんを盗み見る眼差しで、その推論に至る根拠は充分だった。
僕は他人の心に潜む感情を読みとるのを得意としている。

噂によると、三十四歳の菊さんは料理の専門学校を卒業して、浅草の洋食屋で修業を積んでいたが、結婚を機に退職したらしい。
離婚後再び職探しをしていた時に、弦巻寮の「食堂のコックを求む」という求人ビラをどこかで見て、面接にやってきたという。
寮の食堂はかつては学生が持ち回りで食事当番を務め、自主運営をしていた。

ところが去年の夏、寮生が集団で食あたりを起こし、「寮廃絶」を叫ぶ大学側に恰好の口実を与えてしまった。
「食中毒の温床を抱える弦巻寮は、即刻、取り壊すべきである」という主張を、寮の自治委員会は、寮費で専門のコックを雇うことでかわすことにした。
かくして月五千円だった寮費は二千円アップし、その分が菊さんの人件費となった。

くわえ煙草のチェーン・スモーカーで、近づくとヤニ臭い。
一見すると目鼻立ちの整った美人なのだが、十秒一緒にいるだけで、大雑把で無遠慮な物言いや、学生たちを見下げるような皮肉っぽい眼差しに反感を覚えることも多い。
面接の時も自治委員たちの抱いた印象は最悪だったという。ところが試しにオムレツを作ってもらったら、これが美味だった。

委員長の司馬さんは「まるで玉子の中に虹色に染められた雲が浮かんでいるようだった」と回りくどく評し、「オーバー・ザ・レインボー」を口ずさんだ。
七色の味のするふかふかのオムレツだった、と言いたかったようだ。こうして菊さんの雇用が決まった。弦巻キャンパスから徒歩十分のアパートから、週六日、毎朝通ってくる。
仕事がひと段落つく午後から夕方にかけての三時間は、競馬新聞を読んでいるか、近所のパチンコ屋で時間を潰しているかのどちらかだ。

「菊さんの離婚理由って何だったんでしょう」菊さんの話にどのぐらい乗ってくるか、茂庭先輩の気持ちにカマをかけるつもりで、世間話を装って訊いてみた。
「ああいうぶすっとした態度で主婦をやられちゃ、亭主も嫌になるんじゃないか?」そんなふうに憎まれ口を叩いたって、先輩の心の底には純愛が潜んでいることを僕は知っている。
「素材は決して悪くないんだから、化粧ぐらいした方がいいと思いません?」

「まあな」
「離婚した時、子供はいなかったのかな」
「さあな」

「再婚しないんでしょうか」
「知らないよ」
「付き合ってる男性、いると思います?」

「お前って、噂好きのオバちゃんみたいだな。いるだろ、巣鴨のとげぬき地蔵とかに」軽蔑を惨ませて言われ、ちょっと傷ついた。
確かに僕には人間の感情を敏感に捉らえるアンテナが備わっているけど、そこで捉らえたことを次から次へと吹聴するような無神経な男ではない。それだけは分かってほしい。
先輩は食べ終わると、縞麗に平らげた皿をカウンターまで運び、菊さんに「ご馳走様」と声をかけた。

菊さんは振り向きもしない。耳から赤鉛筆を抜いて、馬の名前を咳きながら真剣な顔つきで丸印をつけている。
「ハットトリック、約束ですよ」茂庭先輩は、無理無理、とかったるそうに手を振って食堂を出ていく。
菊さんが笑顔のひとつでも投げかければ、先輩にとっては物凄い活力になるんだろうけど。

僕もそそくさと食べ終え、食器をカウンターに運ぶ。
「トマト、残した」菊さんに睨まれた。
昔の母親のように、御飯をひと粒でも残すとこっぴどく叱られるのだ。

僕は手づかみでトマトを口に放り込むと、へらへらと笑って食堂を後にする。
廊下に出てすぐ横にあるトイレの肩箱に、苦手のトマトを「ぺっ」と吐き出した。

東から西へと二十畳の部屋が廊下の両側に十室ずつ並び、各階で四十人を収容できる。それが三階分だから、弦巻寮はゆうに百二十人は住めるようになっている。
ところが大学側の「廃寮キャンペーン」のあおりを受けて、今や寮生の数は七十人を切っている。

空き部屋が多く、最も人気のない二階フロアなんて粗大ゴミが廊下にうずたかく積まれ、天井の電球はワット数が低いうえに切れているのが多く、いかにも「学校の怪談」の舞台にふさわしい。
この寮は昭和十年、関東大震災規模の地震がまた起きても耐えられるという謳い文句で、当時としては珍しい鉄筋コンクリートで建てられた。
東京大空襲で焼夷弾を受けることもなく、今年で六十五歳の誕生日を迎えた建物なのだ。

この大学を卒業した一級建築士が「あと二十年はもつ」と太鼓判を押したという記事が、去年「週刊朝日」に載って、寮の自治委員会を大いに勇気づけたという。
「建物は五十年以上保てば文化財になると言われている。それを大学側はコンクリートの瓦礫に変えようとしているのだ!」今年の春、新入生歓迎コンパの時に配られたビラにそう書いてあった。
僕の部屋は三階にある。次の講義まで一時間あるので、のんびり豆でも挽いてコーヒーを飲むことにする。

食堂脇の西階段を上ってもよかったけど、このまま東まで廊下を突っ切って、寮務室を覗いてから部屋に戻ることにした。
廊下を進んでいくと、やけに歯切れのよい女性の声が響いてくる。自治委員会・副委員長の本多真純先輩の声だ。
寮務室でおそらくビラ作りに追われているのだろう。

「皆さんは太平洋戦争の終わり頃、文科系の学生が学徒出陣をしたのを知っていると思います。神宮での雨の行進はニュース映像で何度も見たことでしょう」どうやら出来あがつた原稿を読み上げているのだ。寮務室の窓から覗くと、破れたソファが向き合っている会議コーナーで、真純先輩と委員長の司馬さん、会計監査役の保利愛弘さんがサンドイッチを頬張りながら顔を突き合わせている。

「何故、文科系の学生が選ばれたかというと、文科系の学生は生産性にはほど遠く、戦時下ではまったく役に立たないから、駒として戦場に送ってしまえと国が勝手に判断したからです。一方、
理科系の学生には新兵器の開発をさせていました。こうして国は学問の世界に圧力を加えていたのです……文章的にはなかなかいいと思いますけど、ここらへん、もっと強調しません?」
教育学部の三年生で、弦巻寮に住む数少ない女子寮生だ。ポニーテイルの髪をアップにしてバンダナで留めている。

フルマラソンを完走した小柄な女子ランナーというのが初対面の時の印象だった。とにかく弁が立つので、寮の自治委員会・副委員長を三期連続で務めている。
大学側との団体交渉では怒りのあまり小鼻が広がる。鉄壁の理論武装で学生側の急先鋒となる真純先輩を見ていると、ビートたけしの番組に出てくる男嫌いの女性の大学教授を思い出したりする。

男性経験はまだないのではないか、という噂を小耳に挟んだこともあるが、もう一人の女子寮生、田北奈生子とレズ関係ではないかという口さがない噂は真っ赤なデマだと、僕のアンテナは判断する。
「こう続けるのはどうでしょう。
日本史を選択科目で選んだ人なら分かっていると思いますが、もし大学が国の圧力にもめげず、学問の自由を命がけで守っていたら、学徒出陣という悲劇は起きなかったでしょう」
「いいんじゃないの」委員長の司馬さんがあっさり賛成する。寮生の中では最年長の二十八歳、文学部の大学院生だ。

名前が英雄だから、司馬遼太郎の作品に出てくる時代劇ヒーローをイメージするかもしれない。実物は、結核を病んでサナトリウムに入院している私小説作家のような、今にもポキリと折れそうな繊細な風貌をしている。年の功を買われて委員長に選出されたみたいだけど、指導者としてはあまり頼りにされていない。

小説家志望で、寮の広報誌に毎号、恋愛小説を発表しているというロマンチストで、闘争には不向きなキャラクターなのだ。白血病に冒された女子学生と、盲目の大学院生の恋、なんていう大甘のラブ・ストーリーをひいひい泣きながら書いているという人に、「廃寮キャンペーン」を迎え撃つ自治委員長の座はやはり務まらないと思う。

団体交渉のディベートではもっぱら発言権を真純先輩に譲っている。
「それより今月分の赤字について、みんなにどう説明するんだよ」電卓を叩いていた保利さんが、中綿の飛び出たソファにふんぞり返る。
経済学部の四年生。就職が内定していて、要するに「勝ち組」にいる。

夏休み前までは肩まで伸びていた茶色がかった髪を、今はバッサリと切って六四で分け、すでに新人銀行マンになりきっている。会計係として自治委員会の幹部をやっているけど、矢面に立って大学側と対立するのは避けたいと思っているに違いなく、輝く未来のために汚点は残したくない、自分が卒業した後、弦巻寮がどうなろうが知ったことではない、というのが保利さんの本音なのだ。
「今月も積立金で埋め合わせをするしかないわね」

「何だか赤字国債を連発してる日本政府みたい」鼻で笑った保利さんが、
「だから解決策はひとつしかないって言ってんだろ」と身を乗り出した気配。廊下に潜んで聞き耳を立てている僕に、ソファの軋む音が聞こえてきた。保利さんは就職内定の優越感からか、この頃、年上の司馬さんに対してもタメ口を叩く。

 

 

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