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夕闇に、巨大なコカ・コーラの電飾が点った。
yes、coke!
炭酸の泡が溢れて私の頭上に光の雨となって落ちてくる。
電光を吸収した霧雨で、渋谷は点描画みたいに霞んで見えた。
渋谷駅の上空を雲が覆っている。
暗い雨雲ではなく、玉虫のように鈍く光る不思議な雲だ。
たぶんイルミネーションを反射して雲が輝いているのだろう。
南口の歩道橋から下界を眺めていると、なんだかここは日本じゃないような気がしてくる。
異形の魔界。
この街はサイケデリックな悪夢だ。
過去、現在、未来、あらゆるものに境界がなくて、溶け出して混じり合っている。
駅周辺に轟く無数の人間。
別れたりひっついたりしながら絶え間なく流動している。
じっと見ていると気味が悪い。
顔が認識できないと人間は虫と同じだな。
もし宇宙人がどっかから飛んできて空から渋谷を見下ろしたら、このすり鉢の底にためらわずに殺虫剤を撒くだろう。
人が人を人間として認識するためには距離と数が関係している。一対多のとき、多はもう人間じゃない。
歩道橋の欄干に顔をうずめた。
眩量がする。
現実感がない。
明け方の眠りみたいに、とりとめのない思いばかり頭をよぎる。
疲れているんだろうか。
およそ三十時間、私は眠っていない。
どこかで仮眠をとらないと、もう限界かもしれない。
髪が濡れてくる。
小さな水滴がまつ毛に映る。
この霧雨が、かろうじて世界を現実に繋ぎ留めている、そんな気がした。
気を取り直して再び歩きだす。
正也は渋谷にいる。
しかもこの近くにいる。
彼は逃げたのではなく、私を待っている。
それだけははっきりと感じ取れる。
でも探せない。
わかっているのに見つけられない。
夢の中でかけている電話のようだ。
どうしても指が番号を押せなくて、電話が繋がらない。
私は苛立っている。
歩道橋を降りてハチ公前に向かって人込みの中を歩いていく。
反響する音楽と雑踏。
点滅するイルミネーション。
群衆の吐く息が渋谷の匂いを構成している。
それは生臭く鎧えていて甘い。
明確な目的意識をもたない人間の集団は、なぜかみんな、この匂いがする。
井の頭線から繋がった新築ビルのエスカレーターがギラギラと白く発光している。
少し前までこのあたりは薄汚れた繁華街の入り口だった。
新しいホテルができて、今では駅前で最も明るい場所に変わった。
ぴかぴかだ。明るすぎる。
目がくらむほどの蛍光灯は暴力だ。
影すらない。
影のない人々が行き交う。
まるで幽霊のように。
あんぐりと空を見上げるモヤイ像の周りには、人待ち顔の男女が無表情にたむろしている。
薄汚れたコインロッカー、その横でホームレスの男が身体を丸めて寝ていた。
着古した黒いダウンジャケットのファスナーをぴっちりと閉めて、私は雑踏を急ぐ。
爪先の感覚がない。
この冬始まって以来の冷え込みだ、と立ち食い蕎麦屋のテレビが伝えていた。
午後四時。すでに空は暗く、人工灯が街を照らし出している。
人、人、人。
顔、顔、顔。
交差点には寄せ集められた無数の雑音が巨大な音の柱のように立ち昇っている。
ハチ公前の交番の裏手で、一人の青年に呼び止められた。
「すみません」
頼りなげな笑みを浮かべて私に近づいてくる。
「お願いします。あなたの幸福を祈らせてください」
びゅうっ。
ビルの合間をときおり強い風が吹く。
冷気が地を這うように足下を過ぎていく。
身震いする。青年は痩せていてひどく顔色が悪い。
病んだ山羊みたいだ。
「時間はとらせませんから、お願いします」
めえめえめえ。
声も山羊のようにか細い。
しきりにめえめえ鳴いている。困った。
意味が聞き取れない。
ときどきこうなるんだ。
言葉から意味が抜け落ちてサウンド化してしまう。
私は青年の顔を見つめてじっと意識を集中する。
すると、やっと意味が戻ってきた。
「なぜ、私に?」
「それは、その、何か、悩みごとがあるように感じたので……」
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