馬耳東風
 
  大恋愛とかも、あった。どうしようないどん底のときだって、ある。つらさを楽しさに変えられる能力もついてきた。吾郎流、こだわりとマイペースの謎。  
著者
稲垣吾郎
出版社
集英社
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2001/6/13
ISBN4−08−333022−8

随筆事始め

基本的に書くことは苦手だった。
絵も描けないし、ペンを持つということも、作文も苦手だった。

でもこの業界に入ってから、取材でしゃべったり、自分と対話したりすることで見えてくるものがあると気づき始めたんだね。
たとえばインタビューで、「自分はこうなんです」としゃべりながら、"ああ、自分はそう考えていたのか"って認識したり、考えていないことが口から出ることで、もしかしたら心あたりがあるのかと物事を見直したりして。

そういった意味で、書くことによって自分が探せるかな、新しい自分が見つかるかな、って思ったのが、エッセイを書いてみようとした動機のひとつ。
あとは、のちのちにそれを読んだらきっとこっぱずかしいんだけど、自分がそのとき何を思っていたか、という日記みたいな感覚。
そういう記録として残すのもありかな、と。

芸能界のふだんの活動って、人が求めるものに応えていくのが基本であって、マスターべ-ションじゃいけないわけでしょう。
それはうちのメンバーも重々承知なわけで、長くやっていく秘訣かもしれない。
だけど文章に関しては、人に向かって面白くしょうとか、喜ばせようとかいう発想はなかった。

対自分の問題で、要は人に読ませる気なんか全然なかったの。
人が望むものでなくても、それでも楽しんでくれる人が本当にひと握りでもいれば、これは成立するかなと思ってやり始めたんだけど。
エッセイを書き始めて、これは大変だなあと思った。

ましてや’95年のスタート当初は『週刊プレイボーイ』の連載だったから。
読者からしたら、もしかしたら自分より年下かもしれない、いわゆるアイドルが書くっていうのは、不思議なことだったろう。
そういうことも、しかも一週間に一度締め切りがあることも考えずに、よく引き受けたと思う。自分でも信じられないし、書くことの大変さを知った今ではもうできない……。

その後『COSMOPOLITAN』に場を移し、ファンレターいただいたりして反応があると、対象の顔が見えてくるわけだ。年齢的にも元気があって〃自分の何か"を見つけて創っていこうとする女性、最先端の今を生きる女性の顔が。書くことによって僕はいつしか、そういう女性と対話していた。
自分がどういうものを求められるかがよりクリアになって、それは芸にもつながっていったと思うよ。

書くうちに少しずつ余裕が出てきて、少しずつ二-ズに応えられるようになったんじゃないかな。
文章を書く作業は、とてもストイックだと思う。まるで留守番電話のメッセージのニュアンス、最小限におさめなくちゃいけない。
人と人とのフィーリングも、文章では伝えようがないものだ。

たとえば、しゃべるときの息の分量とか、息をのみ込む間合いとかが、いっさいナシの世界。
すべてがストレートに出るし、そこには危険性もはらんでいるから言葉を選ぶときには慎重になる。
ああ、今でも自分のボキャブラリーの少なさや勉強不足が身にしみる。

エッセイで書くことや、インタビューで答えることの中には、"こうしたい"とか"こうなりたいですね"という願望も含まれている。
そしてできるかどうかわからないことを書いたり言ったりしたら、有言実行じゃないけれど、やらなきゃいけなくなる。
そんなプレッシャーや義務感を生み出す土俵でもあったわけだ。

だけど、自分の願望を含め、表現する場があるのは、とても幸せだと思う。
自分の言うことを誰も聞いてくれない、理解してくれないと叫ぶ若い世代は、はけ口を見失い、事件とか犯罪に走ってしまうんじゃないか。
僕たちは、人が受け止めてくれるという、すごく生きやすい仕事をしている。
まして僕の日記のようなエッセイを受け止め、率直に反応してくれるなんて、幸せの最たるものだ。

 

 

 

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