イスラムでニュースを読む
 
  同時多発テロ勃発! テロの黒幕とされるラディン氏をここまで紹介した本はない。 イスラム原理主義はどんな思想なのか、なぜ欧米を敵とするのか。イスラム紛争の火種をさぐる  
著者
富田律
出版社
自由国民社
定価
本体価格 1800円+税
第一刷発行
2000/4/5
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ISBN4−426−76701−6

なぜいまイスラムなのか

二一世紀への過渡期になって、イスラムが影響力拡大の大きなうねりを上げるようになっている。
一九九八年にはケニア・タンザニアのアメリカ大使館がイスラム過激派によって爆破され、クリントン政権はその報復として、アメリカヘのジハード(聖戦)を追求するサウジアラビア出身の富豪、オサマ・ビン・ラディンのアフガニスタンとスーダンの「関連施設」を爆撃した。

また、九九年にはキルギス南部で、ウズベキスタンのイスラム武装集団が日本人技師を拉致し、その身柄を三カ月に渡って拘束するという事件が起こった。
インドネシアではイスラム系政党の指導者が大統領になり、またパキスタンではクーデターによって、イスラム政治運動(原理主義)に影響される軍人たちが政権を掌握している。

 

イスラム政治運動が台頭するわけ

中東イスラム世界では、欧米型の近代化が貧富の差の拡大や、失業・インフレなど社会・経済的混迷、また政治腐敗などの矛盾を引き起こした。
そのため、社会正義や平等を唱え、イスラム法(シャリーア)に基づく政治の実現を主張するイスラム政治運動が多くの支持を集めるようになり、台頭、発展している。
イスラム政治運動成長の契機となった七九年のイラン革命は、現代におけるイスラムの役割を強烈にアピールしたが、イランではパフラヴィー王政(一九二五〜七九年)による近代化政策によって、聖職者やバザール商人、また地方の農民層など伝統的意識の強い階層は疎外され、社会・経済的歪みの否定的影響を直接被らざるをえなかった。

そのため、イランの伝統の主要な要素であるイスラムによって政治・社会の改革や正義の実現を図るホメイニの主張が革命に大きなエネルギーを吹き込むことになった。
イスラム政治運動家は、欧米の法がイスラム世界の堕落や停滞をもたらしたと考え、イスラム法を法体系とするイスラム国家の樹立を一様にめざしている。
すなわち、イスラム政治運動は、イスラム法によって現在ある政治・社会の矛盾を是正し、イスラム世界の栄光を取り戻せると考える。
イスラムの原点に立ち戻り、イスラム共同体の繁栄やムスリム(イスラム教徒)の間の平等を実現しようとするイスラム政治運動が台頭するのは、イスラム世界の現実が政治や社会の至純な傾向を求めるイスラムの理想と大きくかけ離れているためである。

穏健派と過激派

世俗的政府が貧困層の救済などに力を入れてこなかったことなどを背景に、エジプトのムスリム同胞団、レバノンのヒズボラ(神の党)などイスラム政治運動組織は、大衆に福祉や教育事業を広く施すことによって、支持を拡大してきた。

これらの組織は、イスラムの平等主義の原理に基づいて貧困層の救援活動を行っているが、エジプトのムスリム同胞団など穏健なイスラム政治運動組織は、福祉事業や選挙活動などを通じてその影響力の浸透を図ったり、政治参加の道を探っている。
イスラム政治運動による社会・福祉活動が求心力をもつ背景には、イスラム世界における著しい人口増加によって、都市機能がマヒし、教育や医療、また住環境が極めて劣悪になっているという現実にもよる。

穏健なイスラム政治運動に対してイスラム過激派は、武力による「ジハード(聖戦)」によって、不敬虔と考える世俗的政府の打倒とイスラム国家の樹立を目標としている。
聖戦によってイスラムの理想の実現を図るイスラム過激派の活動は、一九八一年にエジプトのサダト大統領を暗殺した「ジハード団」によって注目された。
特に九〇年代に入って、市民に対する大量虐殺を行い、アルジェリア政治の混迷をもたらしたGIA(武装イスラム集団)、また九七年一一月にエジプト・ルクソールで観光客襲撃事件を引き起こしたエジプトのイスラム集団などの活動が目立つようになった。

さらに、二一世紀への移行期にあって、八○年代にソ連軍との戦争があったアフガニスタンを拠点に、オサマ・ビン・ラディンを中心とするイスラム過激派のネットワークや活動が広がりを見せ、その影響はタジキスタンやウズベキスタンなど中央アジア、チェチェンをはじめとするコーカサス、またボスニァやコソボなど東欧、さらにフィリピンや、中国、また欧米にまで及ぶ勢いである。

米ソ対立とイスラム世界

一九八○年代、アメリカはソ連との対抗上、アフガニスタンのムジャヒディン(聖なる戦士たち)に最新鋭の武器や資金を供与し、またイスラム世界の盟主を自任するサウジアラビアも無神論の共産主義の進出をくい止めるために、資金援助やイスラムの厳格なイデオロギーの普及に努めたが、その中で最新の軍事技術を身につけ、また復古的なイスラムの理念に共鳴する過激なイスラム主義が次第に育っていくことになる。

八○年代のアフガン戦争には、イスラムの大義によってムジャヒディンを支援するために、イスラム世界各地からムスリム義勇兵たちが参加したが、彼らは強大なソ連軍の撤退を実現させたという自信から、本国や出身地に帰ってイスラムの理想の実現を図るようになった。
やはりその用いる手段は「ジハード」であり、アルジェリアのGIA、また九六年に米軍施設を爆破したサウジアラビアの反体制イスラム過激派、さらにエジプトの「イスラム集団」などの組織では、アフガニスタン帰りの元ムスリム義勇兵たちが運動の中核を担っていると見られている。

アフガニスタンでソ連軍と戦闘を行っている間は、アメリカから援助を受け、親米的なスタンスをとっていたイスラム勢力であったが、九〇年代に入ると、急速に反米的な主張や立場を強めていった。
その最も重要な背景には、アメリカが湾岸戦争後もメッカ、メディナというイスラムの聖地があるサウジアラビアに軍隊を駐留させていることがイスラムを冒涜するものと、アフガン戦争に参加したイスラム武装勢力が考えていることがある。そのため、九三年にはニユーヨークの世界貿易センター、また九八年八月にはケニア・タンザニアのアメリカ大使館が爆破された。
これらの事件には、アフガニスタンのイスラム過激派のネットワークが関与していると見なされたが、アメリカが共産主義の「次の脅威」としてイスラム過激派の活動を強く懸念せざるをえない十分な動機を与えるものであった。

注目される中央アジアのイスラム

アフガニスタンでは、二〇年以上に及ぶ戦闘の結果、国土や産業が荒廃した結果、麻薬や武器の取引などが横行するようになった。
アフガニスタンの不安定は、その過激なイスラム主義のイデオロギーとともに、北の旧ソ連中央アジアや、チェチェンなどコーカサス諸国にも波及していく気配である。
旧ソ連諸国は、市場経済化に成功せず、一様に社会・経済的混迷を深めている。そのため、これら諸国でもイスラムによって政治・社会の改善をアピールするイスラム過激派が、アフガニスタンのタリバンなどイスラム集団の支援を得て、その勢力を伸長させている。

一九九九年八月にキルギスで日本人人質事件を起こしたウズベキスタンのイスラム武装集団もまた、ウズベキスタンの権威主義体制や市場経済化の失敗など増大する政治・経済危機を背景に台頭した。
これまで見てきたように、新世紀への転換期になって、イスラムはその主張や活動をますます強め、国際政治や社会の中心に置かれているといっても過言ではない状態である。
現在、ムスリム人口は一二億人ともいわれているが、ムスリム人ロの多さとともに、イスラムは今後いっそうその存在を強烈にアピールしていくことであろう。

イスラム世界では、人口増加、失業、インフレ、民主主義の欠如、さらに環境の悪化などを背景に、またこれらの問題が容易に改善されないために、さらには欧米の諸国のイスラム世界への進出やその経済的優位によって、人々の伝統的価値観であり、弱者の救済を説き、社会正義の実現を訴えるイスラムがいよいよその求心力を強めていくに違いない。