1999.11.16
帰ってしまうあなたに「帰らないで」とすがった。
ううん、嘘。
そんなこと臆病な私には無理。
「帰っちゃうの……」
これが精いっぱい。
「もう少し、あと少しだけ」と背中に腕をまわし離さなかった。
……玄関の閉まる音は嫌い。
さっきまであなたが着ていた白いバスローブの残り香に顔をうずめ、袖をとおしてベッドに入った。
少しずつ彼の"匂い"が消えていく。
私から離れてゆく……。
─―私は失恋した。
でも、忘れられない。
諦められない。
その想いは伝えられず執着してゆく。
仕事先で泊るホテルに必ず置いてある白いバスローブ。
ハンガーにかかったそれをなんども抱きしめる。
そこには哀しみだけでなく違う感情が私を襲っていった。
彼が最後に使ったバスローブを長い間洗わなかった。
彼の匂いを失いたくなかったから、外気に触れぬように大切にしまいこむ。
独り寂しい夜には、それを引っ張り出し袖をと打して、ベッドヘと潜りこんだ。
「抱いて欲しい……」
彼とのセックスを想いだして、そう咳く。
彼の匂いは私の身体を熱くさせ、感情を昂揚らせた。
私の指が彼をなぞる。
彼のバスローブに包まれてのマスターベーション。
彼ではなく、彼の"匂い"に敏感に反応してしまう自分。
その密かな行為に私は夢中になっていった。
ことを終え、空しさを残したまま、眠りにつく。そして、また朝が来る。
いつもそうだ……。
対象にまっすぐに向かうことを恐れ、ごまかそうとしていた。
代わりの何かにすり替え、慰めようとしていた。
私は愛情と共にある嫉妬や憎しみを殺してプライドを保ってきた。
一度吐き出してしまえば二度と読み返すことのなかったノートをひも 解いてみたい、と思ったのは彼の白いバスローブがきっかけだった。
いつだって「今日が愉しければいい」と逃げていた私が、この瞬間、自分の内面を覗いてみたいと思うようになった。
これまで書き散らかしてきたさまざまな想いを、ひとつひとつ拾い集めて紡いでみよう─―。
でも、それには勇気が必要だ。
T
「セックスが、そんなに楽しいか」
父が右手でテーブルを叩きつけ、大声で怒鳴った。
さっさと夕食を済ませて、いつものように遊びに行こうとしていた私に向かって、父が突然投げつけた言葉に、家族全員の箸が止まり、一瞬、空気さえも止まった。
母、小学生の弟、私。
誰も父に目を合わせようとしない。
叩いた勢いで、細長いダイニングテーブルから父の箸だけが、床の上に転がり落ちた。
*
父は、小柄な人だった。
『サザエさん』に出てくる波平さんのヒゲをとったら、父になる。
波平さんと違うのは、めったに笑ったことがなく、いつも銀縁眼鏡の奥から、私を監視していたことだ。
小学校低学年のときの通知表を見ると、"内向的"と書かれている。
授業中、手を挙げることもできず、先生に話しかけられても何も答えられない。
すぐ、下を向いて縮こまる。
先生が耳を私の口に持っていっても、私の消え入りそうな声は聞き取れなかった。
「ああしなさい」
「こうしなさい」
といわれ続け、できないと怒鳴られ続けた私は、親がいない
学校では何もできなくなっていたのだ。
余計なことをしたら怒られる。
私は、いつも人の目に怯えていた。
父の躾は厳しかった。
例えば、食事中はお茶わん、箸の持ち方に始まり、テーブルにひじをつくと、容赦なく手が飛んできた。
もちろん、食事中にテレビを見せてもらったことなんかない。
「今日の夕食は何かな」なんて、楽しい想像をしたことすらない。夕食中は、父と母に向かって、今日一日を報告するのが決まりだった。父、母、弟二人と私の五人でテーブルを囲み、今日の学校での出来事、勉強のことや先生のこと、友達のことなどを、両親と話をする。
傍目から見れば、よくできた家族。
一家団簗の風景。でも、何を喋っても怒られるような気がしていた。
学校で縮こまっていた私に、特別に報告するような出来事なんてない。
「今日、学校どうだった」
「別に:……」
「何か変わったことはなかったの」
「別に……」
私のいつもの台詞。
それだけ口にすると、父と目を合わせないように無言で箸を動かす。
私は食事中に楽しく笑った記憶が少ない。
ただ、好きなテレビ番組が見たい一心で、食事はさっさと済ませようと心がけていた。
笑わない父の隣で、口数の少ない母はいつも目を吊り上げていた。
母からすれば子どもたちが叱られるということは、遠回しに「お前の教育がなっていない」といわれているようなものだった。
「あなたのためだから、あなたのためだから」ほんとにそうだろうか。
でも、それが母の口癖だった。
着付けの資格を持っていた母は、家ではよく着物を着ていた。
父に従い、父のいうままにかしずく母は、世間から見れば理想の妻だ。
でも私にとって、そんな"理想の妻"は、"理想のお母さん"からはかけ離れていた。
母が私に求めていたのは、デキがよくて礼儀正しい"理想の子ども"だった。
しかし私は決してそんな子どもじゃない。
「あなたのためだから」と繰り返され、学校が終わると、毎日のように習い事。
習い事に追われていたとしかいえない日々だった。
学習塾、ピアノ、そろばん、公文、習字。
父から「姿勢が悪い」といわれ、長刀を習わされていた時期もあった。
日本舞踊も習わされそうになったけど、それは私の必死の抵抗でようやく取りやめになった。
学校から塾。
塾が終わると家での気の重い夕食。
夕食が済むと母から「あなたのためだから」と、勉強するように仕向けられる。
「私の育て方は間違っていない」
そういって母は一層目を吊り上げる。
父が仕事で遅いときはまだいい。
早く帰ってきているときは、有島武郎の『一房の葡萄』など、小説を渡される。
それを声に出して読むように強いられ、本を丸ごと一冊清書させられる。
その三十分から一時間の間、決まって父は、私の机の後ろで物差しを持って立っている。
勉強部屋には、父が物差しで手のひらを叩く音だけがする。
「背中が丸まっている」
「集中が足りない」父は何かにつけては物差しを振り上げた。
そのたびに私はビクッと体を震わせる。二の腕、手の甲は、いつも赤く腫れ上がっていた。
私は監視している父に怒られまいと、ただそれだけを考えていた。
普通、子どもは、親とコミュニケーションを取りたがるものだ。
でも私はいつのまにか、厳格な父と、なるべく言葉を交わさないようにと、心がけるようになっていた。
あれは小学四年生の頃だった。
その頃、どうしても友達と観に行きたい映画があった。
たしか、アニメ映画の『白鳥の湖』。
どうしても行きたいけど、親にお願いしても絶対に許してもらえない。
友達とだけで街に遊びに行くなんてもっての他だった。
そんなことはいわゆる不良のすることだった。
でもどうしても行きたい。
その衝動を抑えきれずに、内緒で観に行ってしまった。
結局親にばれて、家に戻るなり母からはさんざん説教。
父が会社から帰ってくると、父からもこっびどく叱られて、引っぱたかれた。
頬を叩かれる。一回、二回、三回。
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