わたしは東由多加の顔を覗き込んだ。
眼窩が浮いて見えるほどやつれている。
呼吸が不規則だ。
吸う息が短く、吐く息が長い。点滴に目を移すと、吸うときは一滴も落ちず、吐くときにはぼとぼとっと落ちる。
十回に一回の割合で、東ののどがおそろしい音をたてる。
そのたびにわたしは簡易ベッドから上体を起こす。
二日前に見たレントゲン写真が網膜から離れてくれない。
綿飴のように大きくなって肺を侵している癌細胞、両肺ともに水が溜まっている。
東は、溺れて水を飲み、肺のなかにまで水が侵入してしまったひとと同じ状態なのだ。
溺れているならば救うことができるが、水は東の内側で水位をあげている。
わたしには、いままさに溺れている東をただ見ていることしかできない。
三回に一回くらいの頻度で息がつかえるようになったので、わたしはそっと素早く病室を出て、ナースステーションに走った。
国立がんセンタi中央病院は病院にはめずらしく絨毯なので、足音が吸い込まれる。
「呼吸が変なんです」看護婦はわたしといっしょに病室に入って、東の顔を見ながら脈を測り、点滴のチェンバーを腕時計と比べた。
看護婦はうなずいて廊下に出て、わたしはあとを追った。
「点滴がときどき止まるんですけど」「呼吸が不規則だと、どうしても点滴も不規則になってしまうんですよ」がんセンターの看護婦ほど日常的に死に接しているひともいないだろう。
わたしと東にとっては非日常だが、このひとにとってはありふれた日常の風景なのだ。
わたしは苦痛を訴えることをあきらめて病室に戻った。
電気を消すと闇が息苦しくて過呼吸の発作が起きそうになるし、電気をつけると目のなかで光が毛羽立って痛いので、トイレの電気だけをつけてドアの隙間から光を洩らしている。
わたしはふたたび簡易ベッドに横たわった。ベッドが軋んだのかわたしのからだが軋んだのかわからない。
胸の上で両手を組んで天井を見あげた。
我が子との別離がこんなにつらいとは思わなかった。
丈陽の身を案じているのではない。
丈陽は、わたしがこの世のだれよりも信頼している町田康さんと敦子さんに護られている。
生後二ヵ月の丈陽には母親と離れているという自覚はないだろう。
それとも、母親の声が聞こえなくなったこと、嗅ぎ慣れた膚のにおいがしなくなったことで不安に陥っているだろうか。
東由多加とのこの瞬間も取り返しがつかないが、丈陽とのこの瞬間も取り返しがつかないのだ。
わたしは妊娠中も出産後も、いわゆる母性というものを実感できないでいた。
出産に前後して東の癌が急速に増悪したので、子どもの誕生を喜ぶ気持ちを押し退け、哀しみがわたしのこころに居座ってしまっていた。
いま、離れ離れになって、わたしの胎内で芽生え、十ヵ月にわたって育んだ命なのだということが実感として迫ってくる。
子宮が空っぽ。
大きな穴が開いている。
からだとこころが空洞なのだ。
わたしはその空洞に耳を澄ました。
丈陽の水っぽい泣き声が木霊している気がする。
わたしは小学校高学年のときに図書館で借りた本に書いてあったことを思い出した。
母兎から引き離した子兎を船に乗せる。
沖合で一匹ずつ殺害し、陸にいる母兎を観察するという実験で、結果は子兎の死亡時間と、母兎の脈拍の変化が一致したということだった。
小学生のわたしは、嘘だ、と思った。
クラスメイトに画鋲やシャープペンの先で刺されたり、膝で腹を蹴られたり、服を脱がされたりしても、母はなにも気づかなかった。
それともわたしが学校の屋上から飛び降りたら脈が早まるのだろうか、とざらついた気持ちで本を閉じた記憶がある。
母親になってみて、もし丈陽の身になにかが起こったらわからないはずがない、と思う。
遠く離れていても、丈陽が苦痛を訴える声はわたしの鼓膜をふるわせるような気がする。
わたしは丈陽の薄青い瞼を思い出して、両腕を深く交差させて自分の手で自分の肩を抱いた。
またのどの音。東は息を吐いた。つぎの呼吸はうまくいった。わたしはひと呼吸ひと呼吸に一喜一憂している。
東は、生きている。
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