日産自動車の失敗と再生
 
  巨大企業が失った30年!スピードの時代に翻弄される、苦悩する「ニッポン株式会社」への警鐘 日本人ではなぜ再建出来なかったのか  
著者
上杉治朗
出版社
ベスト新書/KKベウトセラーズ
定価
本体価格 680円+税
第一刷発行
2001/10/01
ご注文
ISBN4−584−12020−X

はじめに─あなたの会社は日産のことを笑えるほど立派ですか

業界でも輝かしい実績を誇った名門、日産自動車(以下「日産」)が経営危機に直面し、いよいよ崖っ淵に立たされて地獄谷を覗いたあげく、フランスの老舗ルノーの資本を受け入れた経緯を知らない人はいまい。
各メディアが微に入り細にわたり、あれだけ大きく報道したら誰だって関心をそそられただろう。

現代はいともあっさりと「まさか?」が「やっぱりそうか」と、ひっくり返ってしまうようなご時世である。
山一や北海道拓銀が倒産し、長銀、日債銀、千代田生命、そしてデパート大手のそごうなどが、無残な姿をさらしながら破綻していった時代である。
日産といえども、いつ、何が起こってもおかしくない事態に追いつめられていたのである。

その日産が嘘ではないかと思われるほどの勢いで甦っている。
その復活の足音からは、信じられないくらいの会社のダイナミズムが伝わってくる。
どこかに経営の魔術か打ち出の小槌でも隠されているのではないかと、つい疑いたくなるほどだ。

豹変した、というのはこういうことを言うのだろう。
日産の業績はたった一年で見違えるほど良いほうに反転した。
どれくらい好転したかといえば、二〇〇〇年度の決算内容についてテレビはもちろん、新聞各紙にもこぞって「過去最高益」というタイトルが躍り出たのである。

九九年度の決算では六八四四億円という途方もない赤字を計上した。
これは製造業ではわが国内史上最大の数字であった。
それがたった一年で三三一一億円の黒字に改善されたわけだ。

それを「壊し屋」の異名をもつゴーンの手によって実現したのだから、たしかにニュースバリューはあっただろう。
カルロス・ゴーンCarlos Ghosn(敬称略。以下本文中の登場人物は全て同じ)はいったい日産という伝統企業の何を壊したのか。

ひとことで言えば、それはコーポレート・ガバナンス(企業統治の方法)の破壊であった。
日本的な、あまりに日本的な、変化を嫌う守旧派たちの厚い力べをぶち壊さなかったら、あのままでは日産の今日はなかったろう。
「長いあいだ、ぬるま湯にどっぷりとつかり、その湯加減に慣れきってしまっていた私たちには、もう、何を、どうすればいいのかさえわからなくなっていた」

日産の当時の社長、塙義一(現会長)の述懐は正直だし、当たっている。
「日産で育った人間、いや、日本人の血が流れている者にはもう無理だ。
ここまできたら改革なんて生ぬるい。
革命が急がれる。

それには国際的な経営のプロ、カルロス・ゴーンのすご腕に委ねるしかない!」
苦渋の選択ではあったが、塙はそうハラを固めた。
社内にはものすごい反対勢力があったが、彼はそれを押しのけた。

公団組織から株式会社に転換してまだ日が浅い(一九九〇年改組)ルノーの、親方日の丸的な公務員意識が抜けきらない企業体質を、目が覚めるほどのスピードで変革させた立役者がゴーンである。
赤字のベルギー工場を閉鎖したとき、三〇〇〇人余の従業員はフランスの国旗とルノーの社旗を火祭りにして抵抗した。

ベルギー政府とも渡り合った。
四十歳そこそこであったが、やはりゴーンは名うての剛腕であった。
だが、本書は辣腕ゴーンの仕事ぶりを描こうとするものではない。

だいいちにゴーンの実績を評価するのは早すぎないか。
もっと時間の積み重ねが必要であろう。
それもあるし、現在の日産にはまだいくつか不安な影の部分が見え隠れしている。

国内市場におけるシェアの低迷、売るものはなんでもあるが売れるものが少ないという現状、それと海外事業の立ち遅れ、歯止めがきかない欧州事業の赤字などがそうである。
本書のテーマはもっとほかにある。

 

 

 

・・・・続きは書店で・・・・

このページの画像、本文からの引用は出版社、または、著者のご了解を得ています。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved. 無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。