![]() |
||||||
オウムと私
|
||||||
著者
|
林郁夫 | |||||
出版社
|
文春文庫/文藝春秋 | |||||
定価
|
本体価格 752円+税 | |||||
第一刷発行
|
2000/10/10 | |||||
ISBN4−16−765617−5 |
医家に生まれて 私は、父が医師、母が薬剤師の開業医の家庭に、六人兄弟の五番目として、昭和二十二年一月二十三日、東京で生まれました。 父も母も兄姉から援助を受けて学んだことや、その兄姉に郷里の篤志家が援助してくれたことを恩として感じ、私たち兄弟によく話してくれました。 両親は、米一粒にこめられた人の努力や、食べられることの有難さについて、よく話をしてくれました。 私は当時遊び回っていた街の中に、母の話に出てくる爆弾の落ちた穴や、焼けてさびた鉄骨だけになった建物とか防空壕の跡など、戦争の傷跡がまだあちこちに残っているのを見ていたので、両親の話を、幼いながらも現実感をもって聞くことができたのです。 父がコヨリを捻って厚紙を付けて、それで書類を綴じ終わると、なにかの役に立ったという気持ちがして嬉しかったものです。 父は三つ揃いを着て、フェルトの中折れ帽子を被り、私の手を引いて歩いてくれます。 いまはもう忘れてしまいましたが、私はかなり腕白だったので、理由があってのことだったのでしょう。 紙芝居は見にいったものの、当時の私には太鼓について回ったり、そこで何かを買うことができない気持ちのうえの抑制がありました。 結局、調剤室の釣り銭入れからお金を盗んで、その欲求を満足させたのです。 私はそのとき、絶対に父から殴られ、叱られると思っていましたが、保険請求の書類を書いていた父は、予想に反して、私を叱ることもせず、私の方を見てもくれず、無視したのでした。 カナリヤの死 父とは、親子としての繋がりを強く印象づけられた、忘れられないエピソードがあります。 家から二、三キロメートル離れた、当時の品鶴線のガードをくぐってすぐのあたりをバスが走っていたとき、私は突然、心に衝撃を感じたのです。 家に着いてみると、衝撃を受けたときに心に浮かんだ内容のとおりのことが、父の身に生じていたことがわかりました。 その出来事が起きたのは、私がバスの中で衝撃を感じたときと一致していたようでした。 気を張って生きる母の姿を見ていると、私も泣き言をいったり、いい訳をしたりすることを恥じる気持ちを自然ともつようになりました。 開業医とはいえ、六人の子供を大学まで出したこともあって暮らしは決して楽ではなく、私たち兄弟もそのことは小さいころからなんとなくわかっていて、無駄遣いはしないようにし、両親への感謝の気持ちを抱いて育ちました。 転校時の担任の先生は、昼食のとき、食事もそこそこに、黒板に本の挿絵を描きうつしながら「ドリトル先生」の話を読みきかせてくださいました。 読んでいた本の種類は、童話にかぎらず、当時あった講談社の少年少女向けシリーズを中心に、家にあった本まで片っ端から、という感じでした。 とくに「史記」「三国志」「水瀞伝」「義経記」「太平記」は好きでした。 私の答えに納得したのか、父はそれ以降なにもいわなくなりました。 五、六年生の担任の先生は厳しい方でしたが、その後も受験には直接関係のない詩や俳句や和歌を、「万葉集」にまつわるご自分の想い出も交えて紹介してくださったりしました。
|
|||
|
このページの画像、本文からの引用は出版社、または、著者のご了解を得ています。 Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved. 無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。 |