集団的自衛権
 
  わが国が「国際法上、保有しているが、憲法上、行使できない」とされる権利集団的自衛権。この珍妙な政府解釈は、いっさい憲法上の根拠を持たないうえに、国際法の現状とも一八○度食い違う。なぜ歴代内閣は、この欠陥解釈を墨守しつづけるのか?本書は日米安保条約、七〇年安保騒動、新防衛ガイドラインをめぐる国会論戦を歴史的に検証するなかで、政府解釈の奥に巣くう「日本的バイアス」を白日のもとに曝す。内閣法制局の「政治性」が、わが国の防衛政策を歪め、日米同盟を危機に陥れる。  
著者
佐瀬昌盛
出版社
PHP新書/PHP研究所
定価
本体価格 720円+税
第一刷発行
2001/5/29
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ISBN4−569−61616−X

プロローグ 信じ難い光景

新大臣たちの挑戦

一九九四(平成六)年四月下旬から五月にかけて、信じ難いことが起こった。
そしてすんでのところで、それはもう一段と信じ難い事態へと発展するところだった。
それは一体、なんだったか。

この年の四月二十五日に新生党党首・羽田孜が新首相に選出された。
首班指名投票で「羽田孜」に票を投じたのは、政党名でいうと新生党、日本新党、民社党、そして忘れてはならないが社会党などだった。
やがて羽田連立政権が発足する。外相に就任したのは、自民党を離党して新生党に加わった柿沢弘治。

防衛庁長官には民社党の神田厚が就任した。今日から回顧すると、なかなか味のある配役である。
柿沢はのちにまた自民党に戻った政治家で、そういう経歴からして、保守本流とか自民党内の大勢順応型の人物とかではない。
自民党の超長期政権下で定着したさまざまな「常識」に埋没するのでなく、むしろそれに異議を唱えようとしてきた政治家である。

もうひとりの神田は、いわゆる五五年体制を基準にしていうと野党系であり、野党系初の防衛庁長官となったわけである。
羽田連立内閣に先立つ細川護煕連立政権は非自民内閣だったので、その下で防衛庁長官に任命された二人の人物、つまり中西啓介と愛知和男は形式的には新生党所属だった。
しかし、この二人は長らく自民党に所属した政治家であるから、いわば自民党系の防衛庁長官であった。

神田はそうではなかった。神田の所属した民社党は、防衛・安全保障政策面では日米安保体制と自衛隊という二本柱を久しく以前から肯定しており、幅の広い自民党よりもある意味では筋の通った議論を展開していた。
それが初の民社党籍の防衛庁長官を生みだした秘密だったといえるだろうが、要するに神田の長官就任をもって、自民党籍ないし自民党系の防衛庁長官という長年の慣例は破られたのである。

この閣僚人事は、二人の政治的経歴が右のようなものだったので、それぞれに注目を集めた。だから両大臣とも張り切っていた。
自分たちこそ適役との自負もあったのだろう。
大臣就任の直後、そして羽田首相が施政方針演説を行う以前の段階で、両大臣はそれぞれ別個に、しかし著しく似たかたちでわが国の安全保障・防衛政策上の「常識」に挑戦したのである。神田防衛庁長官は就任当日(四月二十八日)、初閣議のあとの記者会見と報道各社のインタヴューで、自分から集団的自衛権問題に踏み込んだ。

翌日の『朝日新聞』記事によると、こうだ。
集団的自衛権の行使を禁じているとしてきた従来の政府の憲法解釈について同長官は、「憲法解釈にはいろいろな議論がある。
日本が置かれてくる立場を含めて今から考えていかなければならない。

断定的にこうだとは言えない」と述べた、というのである。
『朝日』はこの記事に「集団的自衛権解釈再検討も神田防衛庁長官示唆」と見出しを付けた。その翌日、っまり四月三十日の『朝日』には「集団的自衛権行使へ、憲法解釈の議論必要柿沢外相」という見出しが躍った。

それは前日の「テレビ朝日」の番組での外相発言を報じた記事だったが、『朝日』報道によると、柿沢外相は「集団的自衛権の行使を禁じてきた政府の憲法解釈について『それで日米安保条約が機能するのか。
国民的な議論をしてほしい。再検討する必要がある時期にきている』と語った」。

追って『朝日』は、この発言を、「集団的自衛権の行使を認める方向で憲法解釈を議論すべきだとの考えを表明したもの」と説明した。

 

新しい安保環境への新しい対応

先に「信じ難いことが起こった」と書いたのは、この防衛庁長官と外相の発言を指している。
それがなぜ信じ難いことだったのか。
集団的自衛権という問題と最も深いかかわりを持つわが国の行政機関はといえば、誰もが内閣総理大臣を別にすれば外務省と防衛庁に指を屈する。そしてわが国では、おいおい詳しく見ていくように、集団的自衛権に関して政府の牢固たる憲法解釈がある。

いま、それを最も短いかたちに要約すると、「憲法は集団的自衛権の行使を禁じている」というものだ。
わが国の防衛・安全保障政策は長年、文字どおりこの憲法解釈の基礎のうえに構築されてきた。他の閣僚はともかく、外相と防衛庁長官だけはこの基礎を死守すると期待されてきたといってもよいだろう。

ところが、一九九四年四月下旬にはこの問題と最も深いかかわりを持つ二人の閣僚、つまり外相と防衛庁長官が、この牢固たる憲法解釈だけでは済まないのではないか、もっとさまざまな議論があるべきではないか、と問題提起したのである。
それが信じ難い光景でなくてなんであるのか。

そういう信じ難い光景を目の当たりにして、国会にもついに政府の集団的自衛権憲法解釈を見直す論戦の時期が訪れるのか、羽田連立内閣はそのための主導権をとる気なのかもしれない、と考えた人は少なくなかった。
そもそも、当時のわが国をとりまく安全保障環境は大きく様変りしつつあった。それが新任の二閣僚の議場外発言を誘発したことは明らかだったし、羽田新政権は新しい安全保障環境に新しい発想で立ち向かおうとしているのだと解釈してみることは、なんら無理ではなかった。

米ソ冷戦とか東西冷戦とか呼ばれた時代はグローバルな見地からすれば終っていたけれども、北東アジアや西太平洋には冷戦の初期に由来する対立因が残っていた。
朝鮮半島三八度線を挟んでの南北間の軍事的対時状況や、台湾海峡での中台緊張がそれだ。
しかも厄介なことに、冷戦に起因するこれらの対立は、古いものがたんに惰性的に存続していたのではなく、質的変化をとげっつあった。

たとえば中国は、台湾に台湾独立を主張する野党が台頭してきたことに苛立ちはじめていた。もっと問題だったのは、平壌の動向と北朝鮮をめぐる国際情勢である。
平壌の核開発疑惑、IAEA(国際原子力機関)即時脱退声明、これに対して米国が北朝鮮制裁の安保理決議を提出しそうな動き。そういった一コマ、一コマは、わが国の安全保障政策が冷戦時代よりもはるかに複雑化した環境に対処していかなければならないことを、無言のうちに教えていた。

そういう事情に照らせば、神田、柿沢両大臣の集団的自衛権をめぐる発言はむしろ両人の感度の良さを示していたというべきだった。
この両人は、わが国の外交・安全保障政策について明らかに日ごろから一家言を持つ政治家であって、けっして「水鳥の羽音」に驚いて突然、奇声を発したのではなかった。
むしろ「時機至れり」と見て、満を持しての発言だったはずである。しかるに、である。両大臣の大胆な問題提起は、国会が始まるや否や、なかったことになってしまった。
どうしてそんなことになったのか。

 

 

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