太陽待ち
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著者
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辻仁成 | |||||
出版社
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文藝春秋 | |||||
定価
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本体価格 1810円+税 | |||||
第一刷発行
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2001/10/15 | |||||
ISBN4−16−320410−5 |
ルーズマイメモリー 「まだかな」と僕が言うと、智子は空を見上げたが、その顔は浮かない表情をしていた。 延々と続く叢の上を南風が駆け抜けていっただけ。持っていた刷毛をペンキ缶の中に戻してから、しょぼしょぼとする両眼を手の甲で擦った。 風の流れを感じようと意識を澄ませてみた。 「出たからといって、それが同じ太陽かどうかはわからないわ」 「考えたくもない」僕は笑ったが、彼女は笑いそうになった口許を慌てて喋んでしまった。 みんなとろんとした目のまま、どこを見るというわけでもなくまどろんでいる。 「でもまだ納得はしてない」 「ぎりぎりまでしない」 ここでは時間がすっかり止まってしまっている。 「二郎は誰が」 「ときどき母さんが」そう、と智子は言った。 僕がここ数日作業してきた壊れた戦車やトラックの残骸の上にも、太陽の光が満遍なく降り注ぎはじめた。 目の中心に心地よい痛みが走り、そのせいでか軽い目眩を覚えた。 * 僕には五歳年上の昏睡状態の兄がいる。 もうすぐ世界は新しい世紀へと突入してしまうというのに、兄はそのことさえも知る由はない。 悪事、あるいは女性の口説き方、賭け事のこつ、世渡りのテクニック、何でも兄から教わった。 切れやすい電球、と仲間たちに呼ばれていた二郎。 いったん切れると見境がなくなって、相手がやくざであっても殴りかかっていく、危ない度胸の持ち主でもあった。
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