途中下車
 
  第1回 幻冬舎NET学生文学賞 たとえモラルに反していようとも、ぼくは妹を愛し抜く─―。それが、ぼくが選び取った生き方だ。 爽やかで決然たる青春を描いて、全選考員に絶賛を浴びた 新世紀の文学誕生!!  
著者
高橋文樹
出版社
幻冬舎
定価
本体価格 1200円+税
第一刷発行
2001/10/10
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ISBN4−344−00119−2

社会とは一部の秀才が車掌を、一部の天才と狂人が運転手を務めて運行されている巨大な列車である。
これは大学の友人が主張した興味深い意見であるが、ぼくは大いに感銘を受けた。
列車の乗客は電車がきちんと運行されるかどうかに何の責任も持っていない。

自分がいなくても社会はこれまでどおりに動いて行くだろうというひがみにも似た感覚、それはぼく達普通の人間が持つものだ。
ぼく達は人生をレールに喩え、車掌が終点を宣言すると同時に列車を降りる。
そうした人生が良いか悪いかは別として、それは抗いようのない事実だ。

「人生は諦める事が肝心だ。良い意味でも悪い意味でもな。あーあれだ、いつまでもプロ野球選手を目指していたってしょうがないだろ?才能があれば別だけどな。自分のできない事はさっさと見限って、自分のできる事をきちんと見つけるんだ。それが肯定的な諦めとでも言うのかなあ。諦観の念ってやつだよ」

これはぼくが大学に合格した夜、珍しく酒に酔った父さんが上機嫌でぼくに語った最後の人生訓だった。
確かにそれまでごくありふれた兄妹に過ぎなかったぼくらが人生のレールから途中下車をするために、両親の死という事件は不可欠だったに違いない。
ぼくらの生活はあの日を境に影を濃くしていき、居間に転がったままの白いバレーボールや妹の部屋に貼られた「グラン・ブルー」のポスターなど、日常を彩る様々な色彩が今までよりもくすんで見えた。

そういった抽象的記述はさておき、ぼくらを取り巻く環境が一変したのが大きかった。
友人達はぼくを哀れみの目で見る事があったが、それも近所に住む人々に比べたら大した事はない。
両親を突然失った二人の子供という絶好の話題は東京から電車で一時間の町を席巻した。

学生であるぼくが家を出る時間は近所の主婦達が井戸端会議を開始する時間と丁度一致していたために、毎朝したくもない挨拶を交わすはめになったが、彼女達が挨拶の時に見せる好奇の視線を見逃す事はなかった。

形だけの会釈をして自転車でその場を後にすると、話の続きを聞いていなくても大体の話題は想像できた。父親を亡くして収入を失ったぼくらがどうやって生きていくのか、あそこの家の娘は家事をきちんとできるのか。

事実両親が亡くなってから三日ほど経つと、母さんが生前親しくしていた向かいの家の中年夫婦が我が家を訪ねてきて、先ほど挙げた懸案事項について玄関先でくどくどと話した。
彼らはぼくらの将来について必死に考えていた。
しかし妻の方が考えれば考えるほど、その眉間のしわが滑稽に思え、いつまで聞いていても飽きなかった。

夫の方は白髪混じりのバーコード頭を何度も丁寧に撫で付けながら涙目になって妻の話にうなずいていた。
結局、二時間滞在したにもかかわらず、何も問題は解決しなかった。
さらには、彼らの徒労がぼくの心に申し訳ないような居心地の悪さを喚起し、もう来ないで欲しいと、心の底からため息の出る思いだった。

多くの人がぼくらの経済状態を心配していたが、金銭的な苦労はまったく無かった。
両親は生命保険をしっかりとかけていたので、ぼくらは彼らの死と引き換えに何千万もの大金を受け取った。
ぼくも途中まではしっかりと数えていたが、力ードの保険やら、大学の生協組合やら、あまりに多くのところから大小様々の金額が入るので、当時ぼくらの後見人となっていた叔父さんにすべてを任せてしまった。

 
 

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