哲学
著者
島田伸介 松本人志
出版社
幻冬舎
定価
本体価格 1300円+税
第一刷発行
2002/03/20
ISBN4−344−00166−4
二人の異才が、今、考えていることのすべてが明かになる。

島田紳助と松本人志が、初めて白日の下にさらけ出す「人生哲学」。笑いとは何か。

日本とは。人生とは。

ふたりの天才の邂逅から現在までを辿りながら、その深遠なる思慮の淵を覗き、自らの浅はかさを恥じる悔恨の書。

二人の異才が、今、考えていることのすべてが明かになる。

この作品は書き下ろしエッセイ。

 

 


松本人志

紳助さんと僕は、番組見てたら仲がいいように思うかもしれないけど、仕事以外のプライベートでは昔から接点がない。
そういう意味での交流は、二人で番組をやっている今現在もまったくない。
そもそも、あの人と僕が交流を持つのは無理だと思う。
あの人の前に立ってると、僕はすごい気を遣うし、いまだに緊張するし、別にあの人と仲良くたりたいとも思わたいのだ。
嫌いという意味ではたいから、勘違いしないように。
先輩だから気を遣う、というのともちょっと違う。
そうではなくて、あの人の前で僕が緊張するのは、僕がかつてあの人に憧れてたとか、過去に尊敬してたとかいうのではなく、その感情が今も僕の中で現在進行形で継続してるからだ。
これは、僕の本心からいっている。
僕が紳助さんと番組をやっている理由のひとつは、そこにある。
僕の中には世間に対して、「お前ら、島田紳助ゆう人をほんまにわかってるか?」っていう想いがものすごくある。
特に、漫才ブームを知らたい若い人たちに対して。
世間は、ほんとうのあの人の凄さをまだわかっていたい。
だって、おもしろいコメディアンとかいうようたランキング記事を目にしても、紳助さんがランクインしていたかったりするから。
それだけでも、もうぜんぜん正当た評価を受けてたいと思う。
プロはみんた知っていることだが、あの人はお笑いの化け物だ。
お笑いの化け物というか、喋りの化け物というか。
……化け物とか、超人とか、怪獣とか、表現はいろいろあると思うけど。
どのへんが化け物かって?
やっばりそれはまず第一に、あの人の頭の回転の速さだ。
僕なんかはコソビたので、休む暇がある。
浜田が喋ってる間に、考える時間が多少たりともある。
ところが、あの人の場合はずーっと一人で喋る。
大阪の番組なんかでは、一人で三時間くらいぶっ続けで喋っている。
しかもこれがムチャクチャおもしろい。
喋りのプロとしていわせてもらえぱ、これはもう異常としかいいようがたい。
あの人の天才的た笑いの感性を、世の中の人はまだまだわかってたいと僕は思う。
それを、あの人の凄さを、もっとみんたにわかってもらいたい。
これは、ほんまにほんまの話だ。
これを読んでるあたたも、紳助さんの凄さ、ほんとうにわかっているだろうか?
僕はたぶんわかってないと思う。
紳助さんは、並の人間ではない。
化け物なのだ。


島田紳助

そんなふうにいわれると、照れる。
たしかに僕が、三時間でも五時間でも喋り続けることができるのは事実ではある。
けれど、それには条件がある。
客に向かっては、そんなに喋り続けられないのだ。
僕が喋り続けられるのは、プロを相手にしているときだけ。
一言も喋らなくていいから、そこにプロがいて聞いてくれさえすれば、僕は何時間でも喋り続ける自信がある。
しかし、素人相手ではそれができない。
理由はよくわからないのだが、それは上岡龍太郎さんにもいわれたことがある。
「お前はプロ相手に喋っていちばんおもしろい奴だ。素人がおもしろいと思うタレントとちゃうねんぞ」って。
そういう意味で、自分でも思うのだが、本来、僕はマニアックなタレントたのだ。
笑いということにかけては、深夜番組とかでほんの少数の視聴者相手に真価を発揮するタレントたのだ。店にたとえるたら、ほんの少数のマニアを対象とした服だけを作っているような。
じゃあなぜ、ゴールデンの司会をしてるのかといわれたら、僕はこう答える。
「それは才能が満ちあふれているからや」と。
そういう意味でいえば、松本も同じだ。
今やゴールデンのレギュラーで確実に高視聴率を叩き出すドル箱芸人ではあるが、ヤツが本質的にマニアックな芸人であることは、世の中の多くの人が認めるところだろう。
ただ、松本もマニアックであることは同じだが、僕とは微妙た違いがある。
僕の笑いは、かなり計算されているのだ。
僕は計算し尽くして喋っている。
しかし、計算して時代に合わせているからこそ、その分だけインパクトが弱くなる。
合わせるには、時代の流れを見ながら、そこに自分を持っていかなきゃいけたい。
その分だけ、コンマ何秒かもしれないが、微妙にタイミソグが遅れるのだ。
それでは出会い頭の、強烈たインパクトは生まれない。
そこが松本とは違う。
あいつの場合は時代に合わせようとしていない。
僕とは笑いに対する喜びが違うのだ。
僕は時代を読んで、その読みどおりに自分の作った笑いが受け入れられることに喜びを感じてきた。
ところがあいつの場合は、物理学者か何かのように、ノーベル賞でも取ろうとしてるんじゃないかというくらい、純粋に笑いというものを突き詰めていく。
その突き詰める過程で、まるで出会い頭の事故のように、時代にぶち当たったのだ。
だからあれだけのインパクトが生まれるのだ。
松本の人気は、その科学と時代との衝突が生んだ、ひとつの奇跡なのだ。

本文P.6〜11より 引用

 

 

 

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