秘密の手帖
著者
いしかわじゅん
出版社
角川書店
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2002/05/30
ISBN4−04−883740−0
吉祥寺の宝・・・いしかわじゅんが放つ 、『秘密の手帖』 私は知っている、彼らの秘密

幅広い交遊関係を持つ、いしかわじゅんが、各界の有名人のマル秘エピソードを綴った、あの連載が遂に単行本化! 北方謙三から山田詠美といった大御所作家さえまで、辛辣にそしてコミカルに描く痛快エッセイ集!!

「彼女の借りについて」

山田詠美は、かつて山田双葉だった。
そういう名前で、漫画を描いていたのだ。
今でこそ、直木賞なんてものも獲ったりして、生まれつきの小説家みたいな顔をしているが、あいつのスタートは漫画家だったのだ。
彼女はぼくの出た明治大学の、ずっと後輩だった。
ついでに、漫研こと漫画研究会の後輩でもあった。
明大漫研は早稲田の漫研と並んで、プロの漫画家を輩出する、名門サークルだったのだ。
ある日、卒業後久し振りに漫研に顔を出したぽくは、新入生を紹介された。
性格に難があってほかの部員とあまり馴染まないその新入生こそが、山田双葉だったのだ。
当時、既に漫画家として数年のキャリアを積んでいたぽくは、漫画を描きたいという彼女に、当時盛んだったエロ漫画誌の編集者を紹介した。
別に苦界に身を沈ませたというわけではない。
あのころ、やや硬直化していた漫画業界に新たな風穴を開けるべく、エロ本業界が盛んに動いていたのだ。
ジャー誌ではできない実験的作品や、まだ海のものとも山のものともつかない、それでもなにかありそうな新人に、積極的に場を与えていたのだ。
山田双葉も、その恩恵に与ったひとりだった。
ただでさえ、エロ本業界に若くてキュートで才能のある女の子は珍しい。
彼女は、すぐに仕事を獲得した。
ただ、今振り返れば、彼女はあまり漫画家には向いていなかったと思う。
漫画を描くというのは、大変に細かい、根気の要る仕事だ。
アイデアを考え、シナリオを作り、コマを割ったラフを作り、下描きをし、ペソ入れをして、仕上げをする。
同じことを何度も何度も繰り返し、やっと完成するのだ。
途中からは、創作というよりも肉体労働という要素が多くなってくる。
彼女は、アイデアを考え、シナリオを作るあたりまでは熱心なのだが、そこまでで飽きてしまい、絵に取りかかるころにはかなりいい加減になっていた。
面自い絵柄を持ってはいたが、それを練り上げて完成させていくという作業ができなかった。
絵というインターフェイスを通して読者に情報を提供することになる〈漫画〉というジャソルでは、それは
ある程度、必要なことなのだ。
描きかけの原稿を見て、もっときちんと描けよ、とぼくがいっても、ええー、だってめんどくさーい、と彼女は口を尖らせてばかりいた。
ぼくは彼女の描くものを面白いと思っていたし、ある程度の読者もいたようだが、はたして、一般的エロ本の読者のどれほどが、あれを読んで喜んでいたろうか。

(本文P.8,9より引用)

 
 

 

   

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