老いてこそ人生
著者

石原慎太郎

出版社
幻冬舎 
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
20022/07/10
ISBN4-344-00208-3
どんなドラマでも最後の幕が一番実があり、感動的なものだ。老いゆく者への、鮮烈なメッセージ。

■目次
老いには、目を据えて立ち向かえ;人はなぜ走るのか;肉体への郷愁;色即是空;自殺するヒーロー;耳鳴りのショック;脳幹のつくる人生の幅;脳幹の大きな意味;病気をどう克服するか;古今、二人の名医〔ほか〕

■要旨

健全な精神が老いていく肉体を守ってくれる…。常に正面きって向かい合う生き方を貫いてきた著者の、生老病死に対する冷静で懸命な姿勢。老いを迎え討つ精神を謳った勇気を与えてくれる一冊。


 

 

老いには、目を据えて立ち向かえ

忙しく、元気でやってきた人間ほどある時、突然ふと俺は、私は、年をとったのかな、いやまさしく、年をとったのだと感じ、感じるだけではなしに愕然として覚ることがあります。
そんなことの無い訳はない、人間誰しも必ず年をとるのだし、その先にやがては死なぬ人間などいる訳がないのだから。
誰しも人生の過程のいずれかの時点で、自らの老いを感じ、覚らされるはずです。
それが何をきっかけにかはそれぞれ異なるだろうが、この自分がいかにも老いてきたのだなと自覚するのは、人間として成熟を遂げてきた頃のことのはずです。
人生における成功、不成功はそれぞれ違っていようと、得難い経験を重ね、楽しみや苦労を重ねてきた末に、今まではなかった多少の疲れも感じるようになりながら、ほんの何かをきっかけに、ああやっぱりこの自分も老いてきたのだなあと、密かに感じることが必ずあります。
そして最初はそれを回避しようとしたり、自分で自分に適当な言い訳をしてみたり、自分なりの理屈を構えてそれを忌避したり拒否したりしようとするが、さらに時がたてば結局それを受け入れざるを得ない。
それも他人の前で降参しましたと手をついて認める訳ではなく、いくら自分自身をいいくるめてみても、この世のすべてを覆いひたして過ぎていく時間というものを改めて認める以外にないのです。
つまり老いは時間のもたらす必然の結果であって、それを拒否したり防いだりすることの出来る人間なんぞこの世に絶対にいはしません。
ならば、あらかじめそう覚っておいて、その覚悟の上で自らの老いを真正面からみつめて立ち向かっていった方が老いることでの損害も少なく(それは主に心の内での問題ですが)、自分が老いることへの自分なりの正確な理解や準備や対処が有効に出来て、老いていくことの中での予期した以上の充実や満足もあるはずです。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生をうけ、滅せぬもののあるべきか」
信長が桶狭間での殴り込みの決戦の前に一差し舞って出かけた幸若「敦盛」の一節ですが、暴雨風の夜に白刃をひらめかせて自ら先頭に立って人生を切り開いていった天才信長の生きざまをいかにも表象する挿話です。
しかし実は大事なのはこれに続く次の一行、
「これぞ菩薩の種ならむ、これぞ菩薩の種なる」
なのです。
人生には当然、限りがある。昔は人間の平均寿命は五十年、現代ではそれが延びてハ十年、としたところでそんなものは宇宙全体をひたして過ぎる時間の総量に比べればけし粒にも及ばぬ、塵みたいなものでしかありはしない。
しかし自分の人生の長さと全時間を対比させそう思うことが出来るのは、ものが「在る」ということの不思議さについて感じたり考えたりする人間だけであって、他の動物が下天について、つまりこの世界全体について、まして宇宙について考えたりする訳もない。
過ぎていく時間についても、自分の人生との関わりで感じたり考えたりするのは人間だけ、いい換えれば哲学をする、さらにいい換えれば「存在」とそれを洗ってさまざまな変化を及ぼしながら流れる「時間」とはいったい何なのか、などと考えるのは私たち人間だけです。
この宇宙全体の想像の域を超えた大きさ。
無人の宇宙船に搭載されたハッブル宇宙望遠鏡はなんと六十五億光年も遠くに在る他の銀河誕生とか、消滅の光景を撮して送り届けてくれますが、六十五億光年などというべらぼうに遠い距離に在るものについて私たちがこの今ようやく知らされるということに、いったいどんな意味があるのか。
少なくとも私自身の人生には直接は関係もない話です。
しかしそれを知ることで改めてこの宇宙の巨きさを知り、一つの映像から六十五億光年などという単位の桁の違う距離と時間について知らされることで、人間は改めてまざまざと私たち人間の存在の限界について知らされる訳です。
六十五億光年という距離や時間と対比しての私たちの人生のせいぜいハ十年という年月の意味合いは、塵のようなもの、在るのだか無いのだかわからぬくらいのもの、つまり夢、幻のようなものだという実感をますます与えてはくれます。
そしてその実感を踏まえて生きていくことにこそ人間は、他の動物は備えぬものごとへの認識を持ち、その上にさまざまな意識や精神や情念を持った私たち人間の人生の意味と価値があるに違いありません。
信長の天才の発露もそうした意識の上にこそあり得たろうし、私たちの人生は限りがあるが故にこそ貴く、価値があるのだという「実存」の意味があるに違いない。
本能寺で明智の軍勢に襲われた時、物見に、
「寄せ手の旗印は何ぞ」
(本文P.8〜11より引用)

 
 

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