太陽の季節
著者

石原慎太郎

出版社
幻冬舎 
定価
本体価格 1000円+税
第一刷発行
2002/08/10
ISBN4-344-00213-X
戦後の青春はこの1冊から始まった。

戦後の青春はこの1冊から始まった。ドラマ化で話題の表題作のほか、伝説の名作「乾いた花」全面改稿決定版、あとがき「青春のピュリティ」、「処刑の部屋」、「完全な遊戯」、「ファンキー・ジャンプ」を収録。

ギラギラと太陽が照りつける初夏の暑い日。
楽譜を抱え、不自由な足を引きずりながら交差点を渡ろうとし、転んでしまう和泉英子(池脇千鶴)。宙に舞う白い楽譜。それを踏みつけてゆく人々の足。飛び散った楽譜を懸命に拾おうとする英子。そこに、「はい」と差し出された男性の手。津川竜哉(滝沢秀明)だった。お礼を言う英子に、笑顔で応える竜哉。これが二人の出会いであった。

竜哉は大学の友人・佐原慎二(高岡蒼佑)の誕生日パーティーで、慎二の婚約者・小宮山由紀(松本莉緒)を紹介される。大企業の社長令嬢でもある由紀に竜哉は近づくことを決意する。まず、落ちていたイヤリングが由紀のものだと確信した上で、プールにイヤリングを落とし、由紀が落としたことに気付いたことを知った竜哉はタキシードのままプールに飛び込み、イヤリングを由紀に差し出す。シャワーを浴びる竜哉のもとにお礼にきた由紀。竜哉は由紀にそっとくちづけをする。まずは由紀の気をひく竜哉の計画は成功した。

「県会議員の叔父が上京してくるから」とパーティを抜け、竜哉はバイト先の工事現場に向かう。竜哉は、貧しい育ちを慎二たちに隠して付き合っていたのだ。バイトが終わり明け方借りている私書箱に行くと、そこに幼なじみの川野耕平(岡田義徳)が待っていた。同じ駅伝部に入れたこと、また一緒に走れることを素直に喜んでいる耕平に竜哉は「もう会いに来るな」と冷たく言い放つ。

一方の英子は、ピアニストの母・響子(松坂慶子)の溺愛ゆえの監視の下、ひっそりと暮らしていた。竜哉と別れたあと家に帰った英子は、楽譜の中から竜哉の奨学金申請書を見つける。楽譜を拾い集めた時、書類が入れ替わってしまったことに気付いた英子は、何とか竜哉に返そうと響子とお手伝いの民代(高橋ひとみ)の厳しい監視をくぐりぬけ出会った交差点で竜哉を待つ。思いが通じたのか、竜哉と再会できた英子だったが、慎二たちと一緒にいた竜哉は思わず英子を邪険に扱ってしまう。知り合いだと思われたくなかったのだ。英子への自責の念にかられた竜哉は交差点に戻る。だが英子がいるはずもなく…。

英子は響子から作曲を禁じられていた。こっそりと続けていた英子だったが、留守中部屋に入った響子はその楽譜を捨ててしまう。そのことに気付いた英子は、竜哉に無視されたこともあり、やるせない気持ちで病院への道を歩いていた。またあの交差点に差し掛かり、信号を待っていると、交差点の向うに竜哉が待っていたのだった…。

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竜哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持と同じようなものがあった。
それには、リソグで叩きのめされる瞬間、抵抗される人間だけが感じる、あの一種驚愕の入り混った快感に通じるものが確かにあった。
試合で打ち込まれ、ようやく立ち直ってステップを整える時、或いは、ラウンドの合間、次のゴングを待ちながら、肩を叩いて注意を与えるセカンドの言葉も忘れて、対角に坐っている手強い相手を瑞ぎながら睨めつける時、その度に彼は嘗て何事にも感じることのなかった、新しいギラギラするような喜びを感じる。
そしてゴングと共に飛び出して行く気負った自分を、軽くジャブを交わしながら自制する時、その瞬間だけ、彼は始めて自分を取り戻し得たような満足を覚えた。
その所為か各ラウンドの初め、ウィービングしながら相手を窺う竜哉は必ず嬉しそうに笑っていた。
人はそれを不敵と見るのだ。それ故、拳闘に対して彼は何時までも慣れることはなかった。
試合に於ける彼の冷静さがあるとしても、それは決して熟練から来るものではなかったのだ。
だから竜哉は、少なくとも拳闘に関しては恐ろしく熱心な選手であった。
生来スポーツに関しては器用であったが、嘗て拳闘のように魅かれたものはない。
長身と器用さを見込まれて、バスケットクラブに一年程籍を置いたことは有ったが、練習や試合で、竜哉は一度手にしたボールをなかなか他にパスしようとはせず、頑固に一人で持って廻った。
その為にパスワークは乱れ、味方は甚だ迷惑するのだ。
国際試合で、外来のバスケットチームの選手が、大きなボールを片掌で撰み、日本の選手を翻弄し苛立たせるのを観た時、外国選手の何食わずしてその実、たまらなく愉快そうにとぽけた表情に彼は拍手した。
竜哉はさっそく工夫してそれを真似たが、そうした個人技はハイスクールの競技に於いては徒らにチームワークを損うだけで排斥された。
彼が始めて拳闘のグラブを嵌めたのは二年の一学期であった。
ある日、午後からの休講続きに、彼は思い出した麻雀の賭での貸金を、拳闘クラブのマネしシャーをしている友人の江田から取り立てがてら、ジムを覗きに行ったのだ。
練習時間前のジムはがらんとしていた。
それでも、大学の選手も入れて五六人の部員が、練習支度や軽いウォームアップをしている。
吊されたサンドバッグ、パンチングバッグ。
壁に掛けられたシュウズにグラブ。
あるロッカーに画かれた髑髏と骨のぶっちがいを見て竜哉は思わず笑った。
そうした風景は、清潔でしんと沈んで、乾ききってはいながら何か血腥い屠場を想わせる。
リソグの蔭を曲ると、午前中の英語をサボった佐原が一人でシャドウボクシソグをしている。
胸に校色の筋を入れた濃紺のトレーニソグ姿で、無表情に左右を繰り出しては体を沈める彼の動作は、奇妙に見えるが決して滑稽ではなかった。
タイツに引き締められた四肢は、彼以外の何者かに操られでもするように、機敏な動作に思わぬパンチを繰り出している。
小柄な佐原が、意外な力を持つのを竜哉は知っていた。
前年の秋、大学の定期戦の後で、所謂街の定期戦に加わるために、球場で一緒になった彼のクラスのグループが街に押し出した時、彼等の他人かまわぬ狼籍を咎めた一人の勤め人に、たまたま運悪く彼が対抗校の
先輩と知って、皆が酒興にまかせて絡みだすと、仕舞いにうるさがったその男が仲間の一人を突き飛ぱして逃れようとした。
その時佐原が黙って前に立ち塞がり、いきなり左手で
相手の鳩尾を突き、あっとかがんだその顔を下から突き上げたのだ。
男は足元から飛び跳ねるように後ろへ引っくり返った。余り簡単に料理された相手に、皆は白げた反面、革めて佐原の拳闘部員の肩書を承認したのだ。
佐原は竜哉を認めると、白い歯を出してにっと笑った。
竜哉はふと、春休みのある朝早く、兄に代って犬を散歩させていた時のことを思い出した。
未だ朝靄のかかった海岸で、赤い上下のトレーニソグ姿に、自いタオルを巻いて、走りながら時折シャドウしている男を見たのだ。
それはハワイから来日していたある級の世界選手権を持つ選手であった。
峠を越した言わば老年選手の彼が、一週間後のタイトルマッチで、上り坂の日本の挑戦者に敗れて王座から消えて行かなくてならぬのは、一般の予想でも殆ど確定していたのだ。
人気の無い海岸で竜哉に出会った彼は、南国人らしい褐色の顔に、真白い歯を見せて笑った。
竜哉は釣り込まれて笑い返した。
海岸の端まで走った彼が引き返し、追い越して行く時、思わず竜哉は、何時か見たアメリカの拳闘映画で、選手同士が仲間の健闘を祈る時したように、両掌を組み合せて前に振りながら叫んだ。
(本文 P7〜10より引用)

 
 

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