凶気の桜
著者

ヒキタクニオ/著

出版社
新潮社/新潮社文庫
定価
本体価格 552円+税
第一刷発行
2002/09
ISBN 4-10-135831-1
若い奴らは疾走する。純粋に無謀に。

怖い大人がいねかえら、脳ミソのぱさついた阿呆がのさばるんだ。生まれて来て、すみません、って思いを味わわせてやる―。渋谷に若きナショナリストの結社が誕生した。その名はネオ・トージョー。薄っぺらな思想ととめどない衝動に駆られ、“掃除”を繰り返していた彼らは、筋者の仕掛けた罠にはまっていた。『時計じかけのオレンジ』の冷笑も凍りつく、ヒップなバイオレンス小説。

01
ネオ・トージョー

ネオ・トージョーは渋谷の街に誕生した結社である。
誕生、結社といっても役所に届けを出したわけではなく、カツアゲ、ケンカ、ゴウカンを日常的に繰り返していた若者が勝手に自分達をそう呼んでいるにすぎない。
ネオナチという言葉を聞きかじった一人が「日本人なら東條英機だろうよ」と半分は思いつきで呼び始めた。
何故、もっと若者らしく、おどろおどろしい名前にしなかったのかといえば、それは薄っぺらではあるが、ナショナリズムと呼べるようなもの
が三人の中にもあったからである。
そのナショナリズムも突き詰めれば、誰もが心に抱く不満から発しているにすぎない。
たとえば、英語も喋れないのに黒人の格好だけを真似しているさまを見ると無性に腹が立つだの、乗れもしないスケボーで歩道を滑って危ないだのである。
しかし、一日の大半を渋谷の路上ですごしている三人の若者は、アメリカに取り込まれていく日本の姿や変質していく日本人を肌で感じとっていたのかもしれない。
東京の渋谷。
といっても、雑誌に登場する繁華街からは大きく外れた商店街の一角に、どうやって食べているのか不安にさせるようなくすんだ仕立て屋『テーラー浅井』があった。
ショウウィンドウには、古臭いフォルムのトロフィーと、こんなの着て六本木に飲みに行ったらモテないだろうなあと思わせる黄土色に薄赤いチェックの替え上着と、戦艦長門のプラモデルが飾ってある。
「はい、山口君と市川君は前回通りで十三万だな」
山口は戦闘服を脱いだ。
戦闘服は一年間でさまざまな傷を残した。
ナイフで切りつけられ、裂けた袖を不器用に補修した跡があり、コンクリートの上で転げ回った結果、肘や背中の繊維はケバ立っていた。
何度も水をくぐらせているうちに左肩にある無数の血痕は薄く目立たな
くなっていた。
真新しい戦闘服を受け取り袖を通す。
山口はひんやりとした裏地に新しい匂いを感じた。
「小菅君は、また筋肉つけちゃったから新しく型紙を作り直したんで、十五万円だね」
店主の浅井はうれしそうに言った。
「えっ、なんで二万も高いんすか。ちょっと型紙いじっただけじゃないっすか」
「だめだめ、小菅君。あんた胸囲が何センチ太くなったか知ってんの?肩幅なんてバケモンのようだよ。肩のパッドなんて、他の二人とは大きさも、作る面倒も二倍だよ」
「そんなあ」
小菅は太いへの字眉を上げ、うれしそうにギョロ目を細めた。
「小菅はベンチプレスのやりすぎなんだよ。そんな見せかけの筋肉は戦闘には不向きだぜ」
市川は尖った鼻と顎の鋭さを柔らかくして小菅の胸筋をどすどすと叩いた。
「見せかけはねえだろう!ナイフで刺されても、この胸筋の厚みがあれば、致命傷にならないんだぜ。俺の鎧なんだよ」
「なに言ってんのおまえ。この戦闘服はチタン網を縫い込んだパッドを内蔵してあるから、どんなナイフだって、ニセンチ以上は刺さんないんだって。ねえ浅井さん」
山口は実際に何度も切りつけられていた。
それは素手で叩き伏せた相手がキレタ状態になってナイフを無茶苦茶に振り回すからである。
「その通り、だから高いんだよ。さすが山口団長は違うね」
「浅井さん、団長じゃないですよ。俺達は上も下もない水平思考なんです」
「水平ねえ。でもねえ山口君、組織ってのはある程度の規律がないと統制がとれなくなるし、大きくならないよ」
「大丈夫です。人数を増やそうとは思ってませんし、年功序列や体育会が嫌いな奴の集まりですから。それに、地位を作ると政治が始まりませんか」
「まあ、そう言われればそうだけど……。それとあんたら最近、渋谷の大東亜青雲同盟に出入りしてるらしいじゃない。あそこは止したほうがいいよ」
「わかってます、浅井さん。仁侠右翼だからってことですよね」
山口はもうあらかた冷めてしまった渋茶を喉を鳴らして飲み干した。
多くの大人は山口と接すると何かを伝えたがる。
「そうだよ。あそこはただの似非右翼で、経済行為だけの暴力団だからね。政治結社を気取ってるけど、あんな社会のダニみたいなもんが右翼を名乗るからダメなんだ!現役を退いたといえども、心の中に燃える青雲の志は消えちゃあいないんだ。わかっているか若き盟友達よ!君達がいざ立ち上がらんとする時には、元血風隊浅井忠次郎はいつでもかけつけるぞ、山口君!
君達は誰から殺めるかね、私はどんな協力でも惜しまない。
売国奴の森かね、それとも厚顔無恥の亀井静香かね」

 
 


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