50年前の古びた言葉で書かれている憲法を、誰もが読める言葉にして次世代に伝えたい。池澤夏樹が、英文の条文を現代語に翻訳し、憲法の意味をわかりやすく説くことを通じて、論議に一石を投じる。
まえがき、 あるいは「つまり、こういうことなんだ」
憲法って、あんまり感じがよくない。 だいたい響きが悪いよ、「ケンポー」なんて。 音が硬くて、とんがっている。 剣法とか拳法とか、似た言葉がどれもあぶない感じで、近づきたくない。 これがもしも「のんぽう」とか「ゆんぽう」だったらずっと感じがよかったのかもしれないけれど、「のん」も「ゆん」も漢字ではめったにない音だ。 しかたがないから憲法という言葉を使おう。 ほんとうを言うと、ぼくだって普段は忘れているさ。 教科書に出てきたし、新聞でもときどき見る。たまにテレビで聞いたこともある。 だけど、いっしょけんめい覚えても、試験以外では役に立つものじゃないみたい。 そんなもんだよね、常識として。 でもまあ、ちょっと考えてみよう。 なぜ憲法がいるのか。 憲法って、法律ぜんぶのもとだ。 ならば、なんで法律がいるのか、それを考えなくてはいけないことになる。 人は喧嘩するものだから、というのが、たぶん、その悲しき理由だね。 喧嘩する。争う。モノを取り合う。いばる。いじめる。 人って、ほんとうに美しくて、いとおしくて、すばらしいのに、でも嫌な面もたくさんある。 社会の始まりまで戻ってみよう。 たぶん最初から人は仲間と一緒に暮らしていた。人の祖先は孤独なゴリラ型ではなく、集団生活のチンパンジー型だった。 そうすると、強い奴と弱い奴が出てくる。 強いのがいばるし、おいしい物は先に食べるし、雌を独占したりして。 強い奴はいい気持ちかもしれない。 だけど、人間の場合は弱い奴のことも考えて社会を作ろうと決めたんだ。弱い奴の方を土台にして、と言ってもいい。 それができたのは、たぶん人間には言葉があったからだろう。 弱い同士で話しているうちに、世の中には弱い者の方がずっと多いということがわかった。それならば、社会というもの、弱い方が主役じゃないか。 そこで社会の大多数を占める弱い奴はみんなでまとまって、腕力ではなく言葉で、強い奴の横暴を抑えることにした。 社会についていろいろ決まりを作った。 考えてみれば強い奴だっていつまでも強いわけではない。 歳もとるし、病気もする。 もっと強くて乱暴な奴が現れるかもしれない。 自分が弱い側に立った時のことを考えてみたら、社会に決まりがあるのはよいことだよ。 その一方で、社会はどんどん大きくなって、国というものが生まれた。 最初は村くらいのサイズだった。それでも隣村との境界線を引いて、その中は自分たちのやりかたでやると決めて、何か問題が起こった時はみんなで集まって相談した。 親が二人とも病気で死んでしまった子供たちをどう育てるか。 その一家は流れ者で、村には縁者もいない(この子供たちって、弱い奴の典型だよね)。年寄りが呼び出されて、昔おなじようなことが起こった時はこういう風にしたと話す。 たとえば豊かな家に預けて育ててもらう。 その代わり、子供たちは大きくなったらその家でしばらく働いて恩返しをする。 村としては働き手が増えるわけだから、子供たちをそのまま死なせてしまうよりは、得をすることになる。
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