吉祥寺駅近くの写真館経営者 鈴木さん
写真集を出版
吉祥寺駅近くで写真館「らかんスタジオ」を経営する写真家・鈴木育男さん(71)は、40年前から吉祥寺の街の定点撮影を続けている。
このほど数百本のフィルムの中から、モノクロ写真320枚を選び、写真集「吉祥寺と周辺寸描」を出版した。戦後、闇市から最先端の商業都市へと、大きく変化した吉祥寺。
写真集は変容の足跡をたどる貴重な資料になっている。( 山田優子記者)
闇市から商業都市へ大変容の足跡たどる撮影場所は、吉祥寺駅周辺、写真館のある平和通りと公園通りの交差点付近、闇市の面影残るハモニ力横町など。
73年、サンロードと公園通りを結ぶ歩行者専用の元町通りと東急百貨店が建設されていく様子と、現在の風景、62年から現在までの吉祥寺駅北口前の変遷など、過去と現在を対比する画面構成になっている。
吉祥寺駅の東端にあった貨物専用駅、吉祥寺初のショツピングセンターとして59年に開店した名店会館、現在のパルコの所にあった乾物店や鶏卵店など、懐かしい風景も多い。
「らかんスタジオ」は鈴木さんの父・鈴木らかん(本名・清作〉さん(故人)が1920年、ニューヨークで創業。
35年から現在地で開業している。育男さんは早大(東京写真短大(現・東京工芸大)を卒業後の55年、同スタジオに入った。
街の風景を意識して撮影するようになったのは64年から。
その2年前、武蔵野市が吉祥寺駅周辺の再開発計画を発表したのがきっかけだ。
「模型や図面を見ると、商業中層ビルが林立し、広い区画道路が住宅街を分断していました。現実離れした構想に、こんなのできっこないと思いました。ところが、その年、東京女子体育短大が国立市に移転し、跡地の再開発が始まるなど、音を立てて街が生まれ変わっていくのを肌で感じ、『記録しなくてはいけない』と思いました」と鈴木さん。その後、仕事の合間に撮影したフィルムを保管してきたが、資料として後世に残したいと、まとめることにした。
「他の町より活気があると感じていましたが、写真を並べてみて、激しい変化に改めて驚きました。記録しておいて良かったと思う一方、あそこも撮っておけばと心残りも多い。例えばおけ屋、げた屋、ノコギリの目立て屋など。街は生き物です。記録するなら、保存性に優れた写真が最高。地域のお役に立てれば幸いです」と話す。
A4判、92ページ。5000円。200部制作し、武蔵野市立図書館などに寄贈する。
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昭和41年 11月 吉祥寺駅
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昭和13年 平和通り
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昭和27年 平和通り アーケードはヨシズ張りだった
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公園通りの通称『開かずの踏み切り』
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