永遠なんてない。
幼い頃、僕はそのことに気づいた。
絶望したわけではない。
むしろそのことに気づいてから、楽に生きられるようになった。
自分の手の中にある幸せを、永遠に続かせたいと願うから、人は不幸になるのだろう。
どんな幸せも、永遠には続かない。
でも、だからこそ、僕は今この幸せを抱きしめる。
永遠なんてない。
けれど、その一瞬は、永遠なのだろうと思う。
人生がもし、そういう“一瞬の永遠”の連続だったら。
生きることはどれだけ、輝かしいものになることだろう。
世界はどれだけ、美しい場所になるだろう。
昔、チェコのある街で、子どもたちの絵の展覧会を観にいった。
鳥になって、空を飛んでいる絵。
大空に向かって、紙飛行機を飛ばしている絵。
子どもらしい、夢に満ちた絵、絵、絵。
見る者を、ほのぼのとした気分にさせずにはおかない絵。
それぞれの絵につけられている、子どもたちのプロフィールを読みさえしなければ。
そこには例外なく、子どもたちの、没年が記されていた。
もう半世紀以上も前の日付、あまりにも幼い死、死、死。
それはかつて、ナチスドイツによって建設されたテレジンのユダヤ人収容所で生き、そして、死んでいった子どもたちが描いた絵だ。
親と引き離され、殺風景な建物に収容され、殺されていった子どもたち。
けれど彼らが描いていたのは、暗い、悲惨な現実ではなく、むしろ、希望だった。
大人たちのどんな理屈よりも、戦争と平和の仕組みについての論理よりも、
そのことが、僕の心をつかんで離さない。
黄金の銃弾で、眉間を撃ち抜かれたように、あの日から、僕の中で何かが変わってしまった。
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