まえがきにかえて─乙武洋匡から日野原重明への手紙
日野原重明様
92−27=65
小学生でも解くことができる、簡単な計算です。
日野原先生と僕との年齢差は、65歳。
実に、先生が65歳のときに僕は生まれたということになります。
先生から見れば、僕など孫のような、もしかしたら、それよりも下の世代ということになるかもしれませんね。
さて、きちんとしたご挨拶をする前に、まずは白状しなければなりません。
実は、今回はじめに日野原先生との対談というお話を出版社から聞かされたとき、僕はあまり積極的な気持ちで受け容れることができませんでした。
恥を承知で告白するならば、先生と顔を合わせ、言葉を交わすことが怖かったのです。
著書を拝読しました。
ぺージをめくるたび、僕の目には眩しい光が射し込んできました。
その光量は少し強すぎて、幾度も目を閉じてしまいたいような衝動に駆られたものでした。
先生の語る言葉には、真実という宝石が埋め込まれている。
人生という豊かで長い道には、哲学という太い背骨が通っている。
すべての行動の礎には、揺るぎない信念が根を生やしている。
僕には、何もないー。
確かな哲学と豊かな感性に満ちた日野原先生と対談するには、僕にはあまりに何もないと感じてしまったのです。
生を授かってからこれまで、様々なことを感じ、また考えながら生きてきました。
しかし、それでも足りないことばかり。
未熟で、自律することのできない自分が腹立たしくてなりません。
『五体不満足』の出版以来、人からは立派だ、強い精神力を持っている、とのお声をいただきます。
ですが、そうしたありがたい評価を受けるたびに、僕は戸惑います。
焦りもします。
何もない、本当の自分を知っていますから。
先生とお会いすることで、僕の未熟な精神が露わになることを、貧しい感性が晒されることを怖れていたのかもしれません。
しかし、それは当たり前のことなのですよね。
92−27=65
僕と先生の間には65年分の開きがあるのですから。
今回の対談、僕は授業を受ける生徒として臨みましょう。
ノートを広げ、ペンを取り、今はワクワクしています。
先生からの教えを受けることで、「何もない」自分から、「まだ、何もない」自分へと変わってゆきたいのです。
さあ、授業の始まりです。
日野原先生、僕らに生きるヒントを与えてください。
乙武洋匡
|