男は匣を持つてゐる。
大層大事さうに膝に乗せてゐる。
時折厘に話しかけたりする。
眠い目を擦り、いつたい何が入つてゐるのか見極めようとするが、
壼か花瓶でも入つてゐるのか。
何とも手頃な善い厘である。
男は時折笑つたりもする。
如何にも眠かつた。
「ほう」
匣の中から聲がした。
鈴でも轄がすやうな女の聲だつた。
「聴こえましたか」
男が云つた。蓄音機の剛吠から出るやうな聲だ。
うんとも否とも答へなかつた。夢の績きが浮かんだからだ。
「誰にも云はないでくださいまし」
男はさう云ふと匣の蓋を持ち上げ、こちらに向けて中を見せた。
匣の中には縞麗な娘がぴつたり入つてゐた。
日本人形のやうな顔だ。
勿論善く出來た人形に違ひない。
人形の胸から上だけが匣に入つてゐるのだらう。
何ともあどけない顔なので、つい微笑んでしまつた。
それを見ると匣の娘もにつこり笑つて、
「ほう、」
と云つた。
ああ、生きてゐる。
何だか酷く男が羨ましくなつてしまつた。
(以下略)
※
1
楠本頼子は、柚木加菜子のことが本当に好きだった。
加菜子の、項のあたりの皮膚の粒子の細かさや、さらさらと靡く艶やかな髪や、伸びやかに善く動く指先が好きだった。
特に頼子が気に入っていたのは、大きくて黒い虹彩に囲まれた加菜子の瞳だった。
それは時として他人を射煉めるように鋭く、それでいて何時だって吸い込まれてしまいそうになる程深い色を湛えて、しっとりと濡れていた。
加菜子がその瞳を閉じて、凝乎と音楽に聴き入っているような時、頼子はその桜色に上気したその頬に、そしてその瞼に、そおっと唇を当てたくなる。
そんな衝動に幾度駆られたか知れない。
しかし、頼子は決して同性愛嗜好者などではなかった。
その感情は、彼女達が持つ性的衝動とはきっと少しばかり違っている。
頼子は加菜子以外の如何なる女性にもそんな劣情を抱いたことなどなかったし、また加菜子に対しても、実際にはそんなことなど出来はしなかったのだ。
でも、加菜子の傍にいる時に感じるそれは静かな高揚感は、どんな恋愛より切なくて、彼女の周囲に漂っている仄かな香りは、頼子の胸を何度でもときめかせた。
加菜子はいろんな意味で自然に悖って生きている。
頼子はそう思っている。
加菜子はクラスの誰より聡明で、誰より気高く、美しかった。
他の誰とも馴れ合わず、ただ一人違う匂いを発していた。
まるでけものの中に一人だけ人が混じったかのようだ。
彼女に出来ぬことなどなかったし、だから苦しんだり悩んだりもしない。
加菜子は十四歳にして達観していた。
だから頼子は、そんな加菜子がクラスの中で自分だけと親しくしてくれることが不思議で堪らなかった。
他の生徒達の目に、それが果たしてどのように映っているものか、想像したこともなかったけれど、彼女が皆の前で自分だけに親しげに声をかけてくれることが頼子の唯一の誇りだった。
頼子には父親がいなかったし、暮らし向きも決して裕福とは云えない。
だから母親が無理をして入れてくれた学校だって、頼子にとってはぼんやりとした苦痛でしかなかった。
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