十八歳で夏でバカだった。
何しろその頃の耕助といえば、この世界の仕組の何一つ、知らなかったし、わかろうともしてはいなかったのだ。
十八の頃の間違った思い込みや勘違いをあげ連ねていったらキリがない。
いくつか紹介するならこんな感じ。
@徳川家康って悪代官だと思っていた。
ANASAというのはアメリカ合衆国の略だと思っていた。
BUSAって大学のことだと思っていた。
C誰でも大学へ行けるもんだと思っていた。
D大学は入れなかった。落ちた。コンビニでバイトを始めた。
Eバイト先の商品ってのはいくらでも万引きしていいもんだと思い込んでいた。せっかくなら豪華な物をと思い、「生チョコ五号」というデコレーションケーキをレジで食べていたら店長が入って来た。
あわてて「メリークリスマス!店長」とおどけてみたけど八月だった。
「あの、俺、定期的に糖分を取らないと死んでしまうんです」と言い訳をしたが、誰が見たって体だけは丈夫だった。
で、クビ。
耕助は十八歳で夏でバカで、プータローのバンドマンだった。
パートはギター。
レツドサンバーストのレスポール。
がんばってギブソン。
きれいな虎目が入っている。
自慢。
しかしよく見ると、木目の一部が渦を巻いていてちょうど人の顔に見えるではないか。
しかもこの顔が森本レオにそっくりだった。
それで“モリもっさん“という名前を付けていた。
本番前には「行くぞモリもっさん」と必ず声をかける。
で、自分で、森本レオの声まねで応えてみるのだ。
「ライブが終わるとお、温か〜いスープがあ、君をお、待っているう」
しかしこの物語の季節は、猛烈な暑さの八月なのである。
バンドはそこそこに人気が出ていた。三茶のヘブンズドアーぐらいのキャパなら満員にできた。
インディーでCDを二枚出していた。マネージャーを名乗る大人も現れ、その夏、耕助たちは生
まれて初めての全国ツアーに出ることになった。一台のワゴン車にメンバー三人とマネージャー、男ばかりがスシ詰めとなり、東京から博多まで、八月の太陽にとろけるアスファルトをひた走って長い旅に出ることになったのだ。
これから始まる旅のことを想うと、十八歳の心は高鳴らずにいられなかった。抜けるような夏の空を見上げながら、耕助はつくづく想ったものだ。
コ体、何人の女のコとエッチができるのだろう」
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