魔王　伊坂　幸太郎　著　ＢＯＯＫＳルーエのＮＥＴ通販

　魔王

著者	伊坂　幸太郎　著
出版社	講談社
定価	税込価格　1300円
第一刷発行	2005/10
	ISBN 4-06-213146-3

ひたひたと忍び寄る不穏と、青空を見上げる清々しさが共存する、圧倒的エンターテインメント！

未来にあるのは、青空なのか、荒野なのか。世の中の流れに立ち向かおうとした、兄弟の物語――政治家の映るテレビ画面の前で目を充血させ、必死に念を送る兄。山の中で一日中、呼吸だけを感じながら鳥の出現を待つ弟。人々の心をわし?みにする若き政治家が、日本に選択を迫る時、長い考察の果てに、兄は答えを導き出し、弟の直観と呼応する。ひたひたと忍び寄る不穏と、青空を見上げる清々しさが共存する、圧倒的エンターテインメント！

オススメな本　内容抜粋

腰の曲がった男だった。頬はたるみ、瞼が腫れ、額に染みがある。薄くなった白髪を後ろへ撫
でつけていた。手すりを握った彼は、地下鉄が揺れるたびに棒切れのような脚を震わせ、今にも
倒れそうだったが、列車の速度が安定したところで歯茎を剥き出しにした。「偉そうに座ってん
じゃねえぞ、てめえは王様かっつうの。ばーか」
乾燥した果物のような雛だらけの老人が、威勢の良い台詞を大声で発したものだから、俺はし
ぼらく動けなかった。１それよりも二十分前、俺は、ＪＲの東京駅構内と連結した美術館を出た後で、雑踏を掻き分
け、どうにか地下鉄の改札をくぐり、ホームに進入してきた丸ノ内線に飛び乗った。
?空席を見つけて腰を下ろし、目でも瞑ろうかと思った時に、「安藤じゃないか」と声をかけら
れて、それで、前に立っているのが大学の友人だと分かった。卒業以来であるから、せいぜいが
五年ぶりのはずだったが、彼の髪の毛が見違えるように短くなっていて、だから、すぐには彼と
分からなかった。「島か」
午後の一時、車内は混雑しているわけではなかった。それでも、吊り革を持つ客が、各車両に
数人いる。俺の隣の席がたまたま空いていたので、島は当然のようにそこへ座った。
「犯罪者？」俺は言う。
「どういう挨拶だよ」
「だって、髪」と俺は視線で指す。「短くなってるから、犯罪でもやって、逃げるために切った
のかと思ったんだ」
学生の時の島は、周囲から、「短い髪のほうが似合うって」と誘導されても、「見苦しいから切
りなさい切りなさい」と突つかれても、頑として長髪のままだった。理由を訊ねると、「自分の
身体の一部を、そう簡単に切れるものか」と哺いた。そのくせ、爪に関しては、いつも深爪にし
ていたのだから一貫性がない。
車両が左へと傾き、速度が増す。走行音が高くなる。興奮した男の血圧がぐんぐんと上がり、
血流が悲鳴を発するような、そんな甲高い音だ。
「二年くらい前に切ったんだ」島はあっさりと言った。「やっぱり現実的にさ、営業まわりをす
るのに長髪はつらい」
「営業先で嫌がられるのか？」
「いや、暑いんだ」
「なるほど」と俺は言う。五年前の彼が聞いたら、落胆のあまり髪を切ったかもしれない。「今
年の夏はいつにも増して、暑いしな」
「じりじりっていうか、ぎらぎらっていうか、ひでえよ」
「欄れているんだ」俺は答える。実際、七月の陽射しで街のビルや路面が焼け燗れているように
見える。そのうちに、焼き魚の皮さながらに、表面がめくれてもおかしくない。
「温暖化だよな、これ」島がぼんやりと咳き、それから意識的なのか、無意識になのか、車内吊
りの週刊誌広告に目をやった。「衆議院解散！衆参同時選挙へ」という見出しがある。
「俺さ、自慢じゃないけどよ、今まで選挙に行ったことねえんだよな」島がポスターを見やった
まま、言った。
「『自慢じゃないが』と言わずに、『恥ずかしながら』と言うべきだ」
「でもよ、俺が投票したところで何も変わるわけがねえって思うじゃねえか」
「みんながそう思ってるから、変わらないんだ」
「安藤は相変わらず、厳しいな」島が苦々しく顔をゆがめた。「でも、今度は行こうと思ってん
だぜ。初、だよ、初。初選挙。二十歳に戻れるような気分だ」
「どうして急に」
「っていうかよ、あの犬養って面白えじゃんか」
やっぱりそうか、と俺は反射的に言いそうになるのをこらえた。島が口にしたのは、野党、未
来党の党首の名前だった。

（本文Ｐ. 7～9より引用）

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