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 息子たちと私 子供あっての親
著者
石原慎太郎/著
出版社
幻冬舎
定価
税込価格 1575円
第一刷発行
2005/11
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ISBN 4-344-01064-7
 
子供という存在の環を抱かずに、人間は生きることも死んでいくことも出来はしまい。
 

本の要約

家族というのは人間の巨きな環であり、繋がりである。親から子へ、そしてまた子へと受け継がれる石原家の子育ての秘密。数々の心温まるエピソードと、伝説の真相を通して素顔の家族像が明かされる。



オススメな本 内容抜粋

長男の伸晃が誕生した折のことを、今でもよく覚えています。
その日の朝、前夜遅くまで書き物をしてまだ眠っていた私を母が起こし、朝方無事出産が終
わったこと、赤ん坊は男だったことを教えてくれました。
早速顔を洗って駆けつけた逗子の産院で初めてのわが子を眺めた時、私は不思議というか、
ごく自然に父親が死んだ時のことを思い出していました。そして、
“ああ、これでまた確かに環が一つ繋がったな”
と思った、というより強く感じていました。
それは私と父の隙わりに加えて、こうして初めての息子が誕生したことで、自分が間違いな
くある大きな人間の環の繋がり、それも父を超えて父の父、そのまた前の前の先祖たちと繋が
ってい、過去からこの私を経て、さらにこの息子を通じ遠い将来に繋がっているのだという確
信、というよりも強い実感でした。
父はかねてからの高血圧を押して社業に励み続け、揚げ句に出向いた先の汽船会社の社長室
での会議の途中に発作を起こして昏睡し始めたそうです。周りは父の過労を知っていたので、
疲れ果てての居眠りと同情して放置して眠らせ、外での昼食から戻ってきてみて眠りながら嘔
吐していた父の様子がおかしいというので慌てて医者を呼んだがもはや手遅れでした。
当時世間を騒がせた造船疑獄で上役の多くが逮捕起訴され、重なって仕事を被せられ、案じ
る私たち家族に仕事で死ねば本望だと囎いて励んでいた末の、いわば戦死のような死に様でし
た。
部活動で学校に居残り定時より遅く駅に降りて歩いて帰宅していた私を、お手伝いさんが途
中まで出迎えにきて知らせ、母と弟がもう先に東京に駆けつけたので私も急いでということ
で、そのまま鞄を彼女に預け電車賃を渡されてまた電車に乗りなおしました。
東京に着いた時にはもう日も暮れており、ようやく駆けつけた社屋の玄関に見知りの父の部
下が待ち受けてくれていて、私を見るなり、
引慎ちゃん、残念だった」
肩に手を置いて告げました。
会社の}室に寝かされていた父の遺体にかがみこみ、確かめるように父の頬に手を触れてみ
ました。今は氷のように冷たくなった父の肌の上に朝から伸びた髭がざらついて感じられた瞬
間、なぜか父がもう間違いなく私が今いるのとは違う位相の世界にいってしまった、父は死ん
でしまったのだと覚り、それまでの緊張が溶けたように涙が溢れてきました。
そしてその涙とは裏腹になぜか強い確信のように、自分と父の関わりは決してこれで終わっ
てしまったのではない、そんなことは絶対にあり得ないのだと、自分にいい聞かす、というよ
り、突然そう信じていたものだった。
私が仏教について学びだしたのはもっと後のことですが、私があの時感じたことは、お釈迦
様が説いた人間の存在についての哲学の心髄に在るものと、ほぼ同じものだったと思う。
遺伝子の伝播などということではなしに、子供と私の関わり、子供と私以前の祖先の人々と
の関わり、さらには子供と、私がこの目では見定めることの出来ぬ子供たちの子孫との関わり
というものが、今では私にはますます強く確かなものとして感じられます。それは絵に描いた
り言葉を綴って説明は出来はしないが、しかし何といおう、ある強い実感なのです。そしてそ
の実感が正しいということを如実に証してくれているのが、息子たちだと思います。
自分でもわかっていますが、私は実に行き当たりばったりの人間で、その事例の最たるもの
が結婚でした。結婚の相手はいわば幼馴染みで、長じて相思相愛とはなったが、こちらは父親
が急逝し、一応大学には進めたが、弟は大学に行きながら父の遺したお金を勝手に持ち出して
東京での放蕩三昧でほとんど家には帰らず、この後、家がどうなるか全くわからぬありさまだ
った。
相手の方は、父親は彼女が生まれてくる前に支那事変の激戦地ウースン・クリークで小隊長
として戦死し、母親も数年前に亡くなって親戚の家に兄妹して引き取られている境遇でした。
結婚を決意した私といえば、二つ目の小説『太陽の季節』で、その夏に第一回「文學界新人
賞」をもらってはいたが、そんなものでこれから物書きとしてはたして立っていけるかどうか
皆目見当もつかぬ頃でした。一応就職しなければと、仕事を持つなら映画監督が良かろうと東
宝の助監督の試験を受け合格はしていたものの、承知はしていたが、当時の映画監督の助手な
どという仕事は、世の中で一番過酷で一番薄給の身分でした。
それでも、まあなんとかなるだろうと結婚してしまったものです。結婚の寸前に芥川賞をも
らうことになりはしたが、当時は芥川賞なるものも今ほどの社会的事件でありはしなかった。


(本文P. 6〜9より引用)



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