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 新リア王 上
著者
高村薫/著
出版社
新潮社
定価
税込価格 1995円
第一刷発行
2005/10
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ISBN 4-10-378404-0
 
保守王国の崩壊を予見した壮大な政治小説、3年の歳月をかけてここに誕生!
 

本の要約


保守王国の崩壊を予見した壮大な政治小説、3年の歳月をかけてここに誕生!   父と子。その間に立ちはだかる壁はかくも高く険しいものなのか――。近代日本の「終わりの始まり」が露見した永田町と、周回遅れで核がらみの地域振興に手を出した青森。政治一家・福澤王国の内部で起こった造反劇は、雪降りしきる最果ての庵で、父から息子へと静かに、しかし決然と語り出される。『晴子情歌』に続く大作長編小説。



高村薫 (たかむら・かおる)

1953(昭和28)年、大阪市生まれ。国際基督教大学卒。外資系商社勤務を経て、1990年『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞。1993年『リヴィエラを撃て』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞、また同書は山本周五郎賞の候補となる。同年『マークスの山』で直木賞を受賞。他の著作に『神の火』『わが手に拳銃を』『地を這う虫』『照柿』がある。



オススメな本 内容抜粋

第一章

筒木坂

この雪の昏さは何だろう。もしも世界がその表皮を剥いで自分は何者かを見せつけたら、こ
んなふうだと言わんばかりの、どこにも端がない真空の昏さ。いや違う、この眼を吸い込み塗
りつぶして一点の光も与えない、これは黒のなかの黒の無数の膜か。闇とはこれほど昏く鋭い
ものだったか。福澤榮は、その分厚さに網膜を表られるようだと感じながら西津軽の雪夜に眼
を凝らし、この真闇は人も獣もない原始のように暴力的だと思った。
しかしまたすぐに、榮はタクシーの車窓越しに雪を眺める自分の眼そのものに違和感を覚え
ると、長年こんなふうに用事も懸案も持たずに何かを眺めたことなどなかった眼が、いまは一
寸した目新しさを楽しんでいる、とも思った。ここに至るまでの日々、振り返ってみればどこ
にいても先ずあれは誰、これは誰と見分けられる程度の大雑把さで人の目鼻だちを見、次いで
その表情をちらりと盗み見た後はもう、ほかに見るものがなかった。永田町でも選挙区でも常
にそんなふうだった二つの眼が、いまは突然人かげもない雪だけの視界を得て、あらためて光
の受容器官たる自身の働きを禍々しく調整し直している!榮はたったいま気づいたのだった
が、そこには齢七十五の脊髄の奥がぶるっと一震えするような初々しさもあり、こうしてたん
に少しばかり景色が違うというだけで色めき立つ自分の二つの眼については、いまさら考える
だに口惜しいと思い直した末に、嫌悪さえ覚えた。
そもそも、仮に違う世界で違う人生を生きていたら、もっとこの眼を喜ばせてやることも出
来たといった発想を、いったいこの俺が一瞬でも持ったというのだろうか。榮は自分を訝り、
誘ってみたこと自体を速やかに否定したが、あとにはざわざわし始めた皮膚の感じが残って、
また少し新たな自身の検証に追われた。結局のところ、あの空気背後から、あるいは
すれ違いざまに飛んでくる耳打ちがあり、さあどうだろうかと思い巡らそうとする間に、耳は
また別の足音を聞きつけてはそばだつ、あの昼も夜もないふつふつとした空気が、なおもこの
皮膚に張りついているのだ、と。先に話しかけてきた者が苛立った眼をよこし、また再びその
眼を読み取ろうとしたときには、相手のほうが同じように別の懸案に身心を奪われており、も
うその眼はここに無い。さて今度はこの俺が呼び戻すか無視するか、一瞬下らない選択を迫ら
れてじりじりする、あの空気がいまもこの皮膚に張りつき粟立たせているのだ、と。しかし、
それこそがこの身の「部というものだと思うと、そら見ろ、代議士福澤榮はここにいるのだと
独りこちて、榮は少しにんまりした。
車窓の外はなおも昏い雪だった。見慣れているはずの郷土の地吹雪は、いまは微かに光りな
がら方角もない天地を吹き流れており、その薄昏い燐光がさらに漆黒を深くして、見る者の眼
を表るような密度だった。これでもかというほど暴力的な黒だと、榮は再び当てもなく思った。
木造町の標識とわずかな建物の明かりを見てから、もう何分経ったか。旧街道沿いの雪原に
一点の灯火もなくなって久しく、そろそろ筒木坂ではないかと榮は思ったが、自分の選挙区で
はない当地の地理に自信はなかった。思えばつい一年前の同じ季節、知事選の応援に駆けつけ
たのも、津軽の北郡と西郡については票田の大きい五所川原と鰺ヶ沢だけで、真ん中の木造は
立ち寄ることもなかったのだったが、しかしだからといって、県選出の代議士生活四十年を数
えながら西郡のこの地をよく知らないというのは、自分でもぴどく奇怪なことに感じられた。
実際、八○年の参院選地方区に長男の優を初めて押し込んだときも、去る八六年の再選のとき
も、慎重に慎重を期し、西津軽各地の票を取りこぼさないために市町村長の何人かはこの足で
訪ねたはずだ。それだけではない、西郡の後援組織の決起大会にも最低二度は出たのを覚えて
いるが、あれはやはり鰺ヶ沢の話だったのだろうか。

(本文P. 5〜7より引用)



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