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ほかならぬ人へ

 
白石一文/著 出版社:祥伝社 定価(税込):1,680円  
第一刷発行:2009年11月 ISBN:978-4-396-63328-8  
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愛の本質に挑む純粋な恋愛小説。愛するべき真の相手は、どこにいるのだろう?「恋愛の本質」を克明に描きさらなる高みへ昇華した文芸作品。第22回山本周五郎賞受賞第一作!
 

本の要約

「だけどさ、アキちゃんの奥さんって偉いよね。ちゃんと戻って来たんだから。いまだってきっといろんなぐちゃぐちゃした思いはあるんじゃない。それでもやっぱり自分にとってアキちゃんがベストの相手だって気づいたから帰ってきたのかな」 そう言われると「そんなことはないだろう」と明生は当たり前に思う。明生自身もなずながベストの相手だとは思えなくなっていた。 「何か証拠があるんだよ」 気づくと明生はそう口にしていた。 「証拠?」 渚が訊き返してくる。 「うん。ベストの相手が見つかったときは、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ」 「それ本当?」 「たぶんね。だってそうじゃなきゃ誰がその相手か分からないじゃないか」 「だからみんな相手を間違えてるんじゃないの」 「そうじゃないよ。みんな徹底的に探してないだけだよ。ベストの相手を見つけた人は全員そういう証拠を手に入れてるんだ」 「そうかなあ」 渚が再び疑問を呈する。 「渚には靖生兄貴が必要な人だけど、靖生兄貴には麻里さんが必要なんだ。でも、そういうときには両方とも間違っているんだよ。ほんとは2人ともベストの相手がほかにいるんだ。その人と出会ったときは、はっきりとした証拠が必ず見つかるんだよ」 いままで思ってもみなかったことが口からすらすら出てきて、明生は内心びっくりしていた。 「ふーん」 「だからさ、人間の人生は、死ぬ前最後の1日でもいいから、そういうベストを見つけられたら成功なんだよ。言ってみれば宝探しとおんなじなんだ」


オススメな本 内容抜粋


俺はきっと生まれそこなったんだ。
宇津木明生は小さい頃からそう思ってきた。いや、思うというのではなく確信してきた
と言うべきだろうか。彼はいわゆる名家の出であった。宇津木の家は、もともとの出身は
山口県だったが、四代前、つまり明生からすると曾祖父の父の代に東京に上って来た。そ
して、その宇津木正一郎なる青年が一代で巨財をなす大実業家となったのだった。何し
ろ藩閥政府の中核たる長州藩の出身者だ。事業ひとつ興すにしても正一郎はすこぶる有利
だったに違いない。まして妻に迎えたのが、維新政府の重鎮の一人、山田顕義の一族に連
なる女性であった。そうなると、多少の才覚と度胸が備わった男ならば誰であれ出世しな
い方が不思議というものだ。というわけで宇津木家の今日の繁栄はこのぴいひいじいさん
の幸運と努力によって礎が築かれたのだった。
ちなみに山田顕義というのは、吉田松陰門下の一人で、陸軍中将、司法卿、司法大臣
を歴任し、日本大学の前身である「日本法律学校」を創設した大立者だ。明治天皇より伯
爵の爵位を授与され、華族に列せられた人物でもある。
小学校時代から成績が振るわず、二人の兄のような超難関校への進学など望むべくもな
かった明生が、曲がりなりにも附属中・高から日大へと進むことができたのは、ひとえに
この遥か遠い遠い縁戚の存在があったればこそだった。
あわよくば産院での取り違えであってほしい。
そう夢想した一時期もある。生まれそこなったと自らを責めるより、その方がよほど気
持ちが楽だった。実の両親がいるのならば、一目散に本当の親たちの元へ帰りたい。白鳥
の中に一羽生まれてしまったアヒルのごとき境遇が明生には心の底から情けなく、そして
苦しかった。だが、頭の出来や身体能力はこれっぽっちも似ていないというのに、容姿だ
けは兄たちや両親と明生はそっくりだった。とても自分ひとりが血の繋がらない赤の他人
だとは考えにくかった。
出産時の酸素欠乏などによる微細脳の障害ではないかと疑ったこともある。
母親をつかまえて、自分が産まれてきたときの状況を細かく尋ねたりもした。陣痛前の
破水で大量の羊水漏出があったとか、子宮口がなかなか開かず、分娩が著しく遷延したの
ではないかとか、本で得た知識を頼りに母の藤子を問い質した。明生が高校生だった頃の
話だ。
「明生のときみたいな安産は初めてだったわよ。つわりも軽かったし、成育もすごく順調
で、生まれてからも宣生や靖生みたいに病気ばかりじゃなかった。明生は本当に育てやす
い子供だったわ」
というのが藤子の率直な答えだった。
大学教授をしている父の光生も、神田にある大病院の創業家の長女だった母の藤子も大
らかな性格の持ち主だった。兄たちに比べて飛び抜けて劣る明生の学業成績についても二
人はちっとも気にしなかった。小さい頃から、勉強のことでとやかく言われたことなど皆
無だったし、それどころか、出来のいい兄たちと引き比べられて、あれこれ論評されたこ
とさえ一度もないのだった。
兄たちも歳の離れた明生を可愛がってくれた。長兄の宣生とは八つ、次兄の靖生とは六
つ違う。彼らは父の仕事ぶりに触発されたのか、共に学究の道に進んでいた。長兄は東
大の医科学研究所で基礎医学を、次兄は京都の先端科学研究センターで分子生物工学をや
っていた。父の光生の専門は計量経済学である。
父は宇津木家の次男だった。戦前戦中は内地及び満州の地で重化学工業を中心に一大コ
ンツェルンを築いていた宇津木財閥も、戦後は「過度経済力集中排除法」によって幾つも
の企業集団に分割を余儀なくされた。結局、宇津木本家が支配権を保ったのは正一郎が最
初に起業した製薬事業のみであった。それが現在の宇津木製薬グループである。
中心企業である宇津木製薬の社長は、父の兄、つまり明生にとっては伯父にあたる宇津
木輝生が務めている。伯父の家にはやはり三人の男子が生まれたが、彼らは全員宇津木製
薬グループに就職していた。
宇津木家には、「惣領が家督のすべてを受け継ぐ」という絶対の家訓が存在した。輝生
と光生もその家訓に忠実に従って、長兄の一族だけが宇津木グループを率いる資格を与え
られたのだった。次男の光生は事業には一切関わらぬ道を歩み、光生の子供である明生た
ち兄弟も同様だった。ただ、父は当然ながら宇津木グループの大株主の一人ではある。
明生の実家は元麻布にあった。各国の大使館が居並ぶ高級住宅地の一角にひときわ目を
引く三階建ての洋館が建っている。その敷地三百坪を超える豪壮な邸宅が彼の生家だっ
た。両親はずっとそこに住んでいるし、長兄も結婚して同じ敷地内に家を構えていた。今
年三十三歳になる次兄は、京都市内にマンションを買って気ままな独身暮らしを続けてい
る。兄嫁の麻里さんは、日銀理事を務める花邑純一郎氏の二女で、慶応を出て三菱商事
に勤務していたが、二人の子供を産んでからは元麻布の家におさまっていた。麻里さんは
とても美しい人で、結婚して十年が経ついまでも「麻里とは毎日でもセックスがしたいく
らいだ」と長兄はいつものろけている。花邑純一郎氏は父の東大時代の学友でもあった。
端から見ると、極め付きに祝福された家に生まれ、何不自由なく育った明生だったが


(本文P. 6〜9より引用)


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