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プラトニック・セックス
PLATONIC SEX
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著者
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飯島愛
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出版社
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小学館
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定価
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本体 1300円(税別)
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ISBN4−09−379207−0
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願いが叶うと、すべてが終わる。 プロローグ 私は、寂しいときや悲しいとき、その想いを紙に吐き出す。 誰にも見せられない、届かぬ想いをただ綴った。 その時々の感情の破片を。 1999.11.16 帰ってしまうあなたに「帰らないで」とすがった。 ううん、嘘。そんなこと臆病な私には無理。 「帰っちゃうの……」これが精いっぱい。 「もう少し、あと少しだけ」と背中に腕をまわし離さなかった。 ……玄関の閉まる音は嫌い。 さっきまであなたが着ていた白いバスローブの残り香に顔をうずめ、 てベッドに入った。 少しずつ彼の”匂い”が消えていく。私から離れてゆく……。 袖をとおし −私は失恋した。 でも、忘れられない。諦められない。その想いは伝えられず執着してゆく。 仕事先で泊るホテルに必ず置いてある白いバスローブ。 ハンガーにかかったそれをなんども抱きしめる。 そこには哀しみだけでなく違う感情が私を襲っていった。 彼が最後に使ったバスローブを長い間洗わなかった。 彼の匂いを失いたくなかったから、外気に触れぬように大切にしまいこむ。 独り寂しい夜には、それを引っ張り出し袖をとおして、ベツドヘと潜りこんだ。 「抱いて欲しい……」彼とのセックスを想いだして、そう眩く。 彼の匂いは私の身体を熱くさせ、感情を昂揚らせた。私の指が彼をなぞる。彼の バスローブに包まれてのマスターべ−ション。彼ではなく、彼の”匂い”に敏感 に反応してしまう自分。その密かな行為に私は夢中になっていった。 こんなことを終えると空しさでいっぱいになった。 いつもそうだ……。 いつも対象にまっすぐに向かうことを恐れ、 代わりの何かにすり替え、慰めようとしていた。 私は愛情と共にある嫉妬や憎しみを殺してプライドを保っていた。 一度吐き出してしまえば二度と読み返すことのなかったノートをひも解いてみたい、と思ったのは彼の白いバスローブがきっかけだった。 いつだって「今日が愉しければいい」と逃げていた私が、この瞬間、自分の内面を 覗いてみたいと思うようになった。これまで書き散らかしてきたさまざまな想いを、 ひとつひとつ拾い集めて紡いでみよう─。 でも、それには勇気が必要だ。 プラトニック セックス T 「セックスが、 そんなに楽しいか」 父が右手でテーブルを叩きつけ、大声で怒鳴った。 さっさと夕食を済ませて、いつものように遊びに行こうとしていた私に向かって、 父が突然投げつけた言葉に、家族全員の箸が止まり、一瞬、空気さえも止まった。 母、小学生の弟、私。誰も父に目を合わせようとしない。叩いた勢いで、細長いダ イニングテーブルから父の箸だけが、床の上に転がり落ちた。 父は、小柄な人だった。 『サザエさん』に出てくる波平さんのヒゲをとったら、父になる。波平さんと違う のは、めったに笑ったことがなく、いつも銀縁眼鏡の奥から、私を監視していたこ とだ。 小学校低学年のときの通知表を見ると、”内向的”と書かれている。授業中、手 を挙げることもできず、先生に話しかけられても何も答えられない。すぐ、下を向 いて縮こまる。先生が耳を私の口に持っていっても、私の消え入りそうな声は聞き 取れなかった。 「ああしなさい」「こうしなさい」といわれ続け、できないと怒鳴ら れ続けた私は、親がいない学校では何もできなくなっていたのだ。余計なことをし たら怒られる。私は、いつも人の目に怯えていた。 父の躾は厳しかった。 例えば、食事中はお茶わん、箸の持ち方に始まり、テーブルにひじをつくと容赦なく手が飛んできた。 もちろん、食事中にテレビを見せてもらったことなんかない。 「今日の夕食は何かな」なんて、楽しい想像をしたことすらない。 夕食中は、父と母に向かって、今日一日を報告するのが決まりだった。 父、母、弟二人と私の五人でテーブルを囲み、今日の学校での出来事、勉強のこ とや先生のこと、お友達のことなどを、両親と話をする。 傍目から見れば、よくで きた家族。一家団欒の風景。でも、何を喋っても怒られるような気がしていた。学 校で縮こまっていた私に、特別に報告するような出来事なんてない。 「今日、学校どうだった」 「別に……」 「何か変わったことはなかったの」 「別に……」 私のいつもの台詞。それだけ口にすると、父と目を合わせないように無言で箸を 動かす。 私は食事中に楽しく笑った記憶が少ない。 ただ、好きなテレビ番組が見たい一心 で、食事はさっさと済ませようと心がけていた。 笑わない父の隣で、口数の少ない母はいつも目を吊り上げていた。母からすれば 子どもたちが叱られるということは、遠回しに「お前の教育がなっていない」とい われているようなものだった。 「あなたのためだから、あなたのためだから」 ほんとにそうだろうか。でも、それが母の口癖だった。 着付けの資格を持っていた母は、家ではよく着物を着ていた。父に従い、父のい うままにかしずく母は、世間から見れば理想の妻だ。 でも私にとって、そんな”理想の妻”は、”理想のお母さん”からはかけ離れて いた。母が私に求めていたのは、デキがよくて礼儀正しい”理想の子ども”だった。 しかし私は決してそんな子どもじゃない。 「あなたのためだから」と繰り返され、学校が終わると、毎日のように習い事。習 い事に追われていたとしかいえない日々だった。学習塾、ピアノ、そろばん、公文、 習字。父から「姿勢が悪い」といわれ、長刀を習わされていた時期もあった。日本 舞踊も習わされそうになったけど、それは私の必死の抵抗でようやく取りやめにな った。 学校から塾。塾が終わると家での気の重い夕食。夕食が済むと母から「あなたの ためだから」と、勉強するように仕向けられる。 「私の育て方は間違っていない」 そういって母は一層目を吊り上げる。 父が仕事で遅いときはまだいい。 早く帰ってきているときは、有島武郎の『工房の葡萄』など、小説を渡される。 それを声に出して読むように強いられ、本を丸ごと一冊清書させられる。 その三十 分から一時間の間、決まって父は、私の机の後ろで物差しを持って立っている。勉 強部屋には、父が物差しで手のひらを叩く音だけがする。 「背中が丸まっている」 「集中が足りない」 父は何かにつけては物美しを振り上げた。そのたびに私はビクッと体を震わせる。 二の腕、手の甲は、いつも赤く腫れ上がっていた。私は監視している父に怒られま いと、ただそれだけを考えていた。 普通、子どもは、親とコミュニケーションを取りたがるものだ。でも私はいつの まにか、厳格な父と、なるべく言葉を交わさないようにと、心がけるようになって いた。 あれは小学校四年生の頃だった。 その頃、どうしても友達と観に行きたい映画があった。たしか、アニメ映画の 『白鳥の湖』。 どうしても行きたいけど、親にお願いしても絶対に許してもらえな い。友達とだけで街に遊びに行くなんてもっての他だった。そんなことはいわゆる 不良のすることだった。 でもどうしても行きたい。その衝動を抑えきれずに、内緒で観に行ってしまった。 結局親にばれて、家に戻るなり母からはさんざん説教。父が会社から帰ってくると、 父からもこっぴどく叱られて、引っぱたかれた。頬を叩かれる。 一回、二回、三回。 「何で行っちゃいけないの」 泣き叫んで抗議するが、応える代わりにまた、手が飛んでくる。涙のおかげで、 父の形相も私がいる世界も見えなくなった。叩かれている音だけが聞こえる。 なんで叩かれてるんだろう。そればかり考えていた。 夜、枕に顔を埋めて泣いた。 「絶対、中学生になったら家出する」 心の中で声にならない叫び声をあげた。 本文P.1〜7より |
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