ゲンコツ
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『仮面ライダー』のイントロが流れると、若い連中は一斉に笑った。ジョッキに残っていたビールを飲み干してソファーから立ち上がり、マイク片手にステージに向かう吉岡の背中に、「主任、がんばってえ!」と女子社員の声が飛ぶ。吉岡は両脚を踏ん張ってふらつく体を支え、力みかえったしぐさで右の拳を腰の横に添えた。マイクをつかんだ左手は、最初は右の拳のすぐそば、それからゆっくりと弧を描いて体の左側に移っていく。
「ライダー……」マイクが声を拾わなくても、口の動きだけでわかる。グリコのマークのように左手が伸びきったその瞬間、右手がすばやく斜め上に伸びて、入れ替わりに左手は左脇腹につく。
「変身っ!」とっくに歌は始まっているのに、吉岡ば「とお−っ!」と一声吠えて、バンザイのポーズでジャンプした。高さ、約五センチ。体の動きにワンテンポ遅れてふわりと浮き上がったネクタイが、脂ぎった鼻の頭に当たった。拍手や甲高い歓声とともに、若い連中は笑いころげる。
吉岡も笑いながらおおげさな節回しで歌う。雅夫はステージ横のモニターに映った吉岡の顔に苦笑いを送り、ウーロンバイを一口啜つた。「加藤主任は歌わないんですか?」隣に座った橋本が分厚い曲目ファイルを差し出してきた。「俺はいいよ」断ると、橋本は少し鼻白んだふうにファイルをひっこめて、それでも気を遣ってはいるのだろう、「吉岡さんも好きですよねえ」と肩をすくめた。たしかに、好きだ。これで三曲目。『宇宙戦艦ヤマト』に『あしたのジョー』に『仮面ライダー』・・・・・『巨人の星』もすでに予約してあるだろう。一番の歌が終わり、間奏に入る。吉岡は休む間もなく。ハンチやキックを虚空に放つ。「とうっ!
とうっ!」と、気合いの割には腕も足ものろのろとしか動かない。歓声に紛らせて、誰かが「おたくオヤジッ!」と声をかけた。聞こえているのかいないのか、吉岡は「とうっ!とうっ!」と幻の格闘をつづける。薄くなった髪が汗で額に貼りつき、ワイシャツの裾はズボンからはみ出してしまった。
「元気いいですよね、ほんと」橋本はあきれたように言って、「加藤主任と同期なんですよね?」と訊いた。「ああ……」「昔から、あんな感じなんですか」「酔っぱらうとな。昔はもっとすごかったんだけど」「吉岡さんもさっき言ってましたよ、若い頃はこんなものじゃなかった、って」「昔」や「若い頃」という言葉が、耳や口にすんなりと馴染むようになった。三十八歳。入社十六年目。この四月から二人そろって営業課の主任に昇進し、部下を八人ずつ率いることになった。吉岡の部下として異動してきたばかりの橋本は、雅夫とは今夜
─ 二班合同の花見が初対面で、「さん」と「主任」のつかい分けもそのあたりに理由があるようだった。「橋本くんはいくつだっけ」「僕ですか?僕は二十八です」「そうか、若いよなあ」「そんなことないですよ、もうオヤジですよ、最近すぐ疲れちゃって」おどけて自分の肩を叩く橋本に、雅夫は「甘いよ」と言った。
小声で、吐き捨てるように。橋本は「え?」と聞き返したが、苦笑いでかわした。歌がようやく終わる。エンディングの演奏が終わると、吉岡はテレビ放送のナレーションを真
似て「仮面ライダー、本郷猛は改造人間である」と早口に言いかけて、つづく言葉を忘れてしまったのか、エコーの効いた声で雅夫を呼んだ。「なあ、つづき、なんていうんだっけ」「覚えてないよ、そんなの」モニターの中の吉岡に言った。「なんだっけなあ、え−と、仮面ライダー本郷猛は改造人間である、だろ……」次の歌のイントロが始まった。「主任、交代ですよ、もう」と声がかかり、吉岡はしぶしぶステージを降りる。入れ替わりに雅夫は席を立ち、部屋を出てトイレに向かった。耳の奥がじんとしびれている。カラオケは嫌いなわけではないが、演奏の音が年々大きくなっていくような気がするのはなぜだろう。
用をたす前に、シャツの上から腹に軽く触れた。息を詰めて、少し強く叩いてみる。顔をしかめながら、さらに強く。たるんだ腹の肉は、ずぶずぶと沈み込んでいくようなやわらかさしか伝えてこない。抑えつけてくるものをはじき返す強さがない。指でつまむ、だらんと垂れた性器と同じように。「おまえも歌えばいいんだよ、そういうのがコミュニケーションになるんだから」吉岡は優れた声で言って、走りだしたタクシーのシートに背中を預けた。「『仮面ライダー』になんの意味があるんだよ」と雅夫は皮肉交じりに訊いた。「ないよ」あっさり返された。「意味なんているのかよ、飲み会に」カラオケの間ははしゃぎどおしだったくせに、若い連中と別れるとぐったりとした顔になり、口調も投げやりなものに変わってしまう。ばか騒ぎに体力がついていかない。始発電車の走る頃まで盛り上がったまま酒を飲んでいられた十年前とは、もう違う。吉岡にもわかっているはずなのに、わからないふりをする。そこが雅夫には少し腹立たしい。「はたで見てると、吉岡の騒ぎ方って、ちょっとつらいよ」
「俺が?なんで?」「うまく言えないけどさ……」「俺ば、どっちかっていうと加藤の枯れ方のほうが寂しいけどな」「べつに枯れてるわけじゃないって」「じゃあ、シラけ方だ」そっちのほうが近いかもしれない。黙ってうなずくと、吉岡は「まだ三十八だぜ、元気出せよお」と言った。「出せよお」は眠たげなあくびといっしょに。あくびは雅夫にもうつった。しょぼついた目に、六本木の街の明かりがにじむ。学生時代から三十代初め
─ バフル景気がはじける頃までずっと遊び場だったこの街に、あの頃通い詰めていた店は、いまはほとんど残っていない。吉岡がなにか言った。聞き逃して手振りで詫びると、今度は苦笑交じりに「中途半端だよな、
三十七、八って」と言う。「うん……」「俺は『まだ』だと思ってるし、おまえはどうせ『もう』なんだろ?」当たり、だ。
「俺だってさ、四十になったら『まだ』なんて言わないよ。でも、加藤も三十二、三の頃は楽勝で『まだ』だろ?」これも、当たり。「ちょ〜中途半端だよな」吉岡の「ちょ〜」の言い方ばへたくそだ、と雅夫はいつも思う。テレビで観る女子高生のように軽く無意味に言えない。どうでもいい言い方を、一所懸命にしてしまう。もちろん、それは雅夫だって同じだ。自然に口に出せるのは「うっそ−」ぐらいのものだが、そんな言葉をつかう若い奴はいまどき誰もいない。タクシーは西麻布の交差点から外苑西通りに入った。新宿駅まではあと十五分。終電の一つ前の電車に間に合う。「まだ」だの「もう」だのといった屍理屈めいたことを言わなくても、もっとわかりやすい中途半端さがある。六本木で酒を飲んだあとは、地下鉄とJRを乗り継いで新宿まで出るのが億劫になる。けれど、メーターが一万円を少し超えるニュータウンまでタクシーで帰らなければならないほど疲れてはいない。酔いが醒めるでも深まるでもない二十分そこそこのタクシーの車中が、つまり三十八歳という年齢の象徴のような……こっちのほうが屁理屈かもしれない。
吉岡は腕組みをして、うとうとしはじめた。雅夫は窓を細めに開けて風を入れ、青山霊園の暗闇をぼんやりと目に流し込む。サザンオールスターズの古い歌を、息だけの声で口ずさんでみる。歌詞に「愛」や「夢」や「自由」が出てくる歌を歌うのが気恥ずかしくてたまらなくなったのは何歳頃からだったろう。2電車がニュータウンの駅に着く少し前に、日付が変わった。酔いはあらかた醒めていた。醒めていなければ困る。帰宅途中のサラリーマンを狙う、こんな言葉をつかうのは悔しいが、オヤジ狩りというやつが、半年ほど前から数件起きている。警察に被害届を出していないケースを加えれば、もっと数は増えるだろう。この時刻、電車を降りたひととタクシー乗り場の行列以外に駅前の人影はまばらだ。
自動改札を抜けて駅前広場に出ると、すぐ目の前をキックボードに乗った若い男たちがねばついた笑い声とともに横切っていった。前衛的なオブジェが点在し、雅夫の一家が引っ越してきた十年前には「ガウディの街」ともてはやされていた駅前広場は、数年前から若者たちのたまり場になっている。オブジェはどれもス
プレーやサインペンの落書きで汚され、テレホンクラブのビラも貼りつけられて、不動産広告から駅前の風景写真が消えた。雅夫はタクシー乗り場の行列を横目に、広場からまっすぐ伸びる遊歩道を進んだ。我が家のあるマンションまでは、徒歩十五分。タクシーではワンメーターにしかならず、運転手に露骨にいやな顔をされてしまう。自転車を使うにはマンションの手前の上り坂がきつい。原付.バイクもマンションの駐輪場は満杯で、空きを待っている住民が雅夫の前に数人いる。オブジェの脇を通り過ぎるとき、自然と足が速まる。こんなものぜんぶ撤去してしまえばいいんだ、と毎晩のように思う。
たむろする若者にとって、オブジェは格好の居場所になる。陰にひそめば隠れ処にもなる。波打ち際の岩陰に貼りつくフナムシと同じだ。縄張りめいたものもできているのだろう、ごくふつうの風貌をした連中が集まっているオブジェもあれば、見るからに柄の悪そうな一団が陣取る場所もある。駅からいっとう遠い位置にある裸婦像のオブジェは、毎日通っていれば嫌でもわかる、いらだちと不機嫌さをぷんぷん漂わせたグループの縄張りだった。雅夫の足取りはいつそう速くなる。奴らは今夜もいる。目は合わせない。向こうにも気づいてほしくない。狙わないでくれよ、と祈る。すぐそばの道路に、窓をスモークにしたワンボックスカーがエンジンをかけたまま、カーステレオの音楽を大きなボリュームで流しながら停まっていた。
ロック ─ という大ざっぱな言葉しか浮かばないのが悔しい。いや、これはヒップホップだろうか。単調なビート、抑揚のないボーカル、特徴を並べて、当てはめて、遠い昔の受験勉強みたいだ。アーティストも曲もわからない。ただ、腹を蹴りっけるような重く濁った響きが、オブジェからうんと遠ざかっても、まだ聞こえてくる。ほんのわずか青みがかった街灯の明かりにすがるようにして、家路を急ぐ。
朝から働きどおしの一日の終わりが、これだ。人生の折り返し点をすでに過ぎたのか間もなく過ぎるのかは知らないが、とにかく三十八年も生きて、じゅうぶんにおとなになって、幽霊が怖
かったこどもの頃よりもずっと心細い思いで夜道を歩かなければならなくなるなど、若い頃には思いもよらなかった。雑木林を残した公園の脇を通る。ジュースの自動販売機の明かりに引き寄せられた蛾が、缶の並ぶディスプレイウインドウをつつくように、ぱたばたと舞っている。
前を通り過ぎるときにちらりと見て、落書きや異状がないかを確かめるのは、自販機メーカーの営業マンの性というやつかもしれない。ライバル社の、最新型の機種だ。半年前に設置された。この不況で、うまい営業をやったものだな、と顔も知らないその会社の営業マンを少しうらやんだものだ。赤いスプレーで大きな×印がついている『ちかん・ひったくりに注意』の立て看板を過ぎれば、あと少し。しょっちゅう石をぶつけられて割れているカーブミラーのある四つ角を曲がれば、マンションが見える。九階建ての上から三つめ、左から三つめと四つめの窓が、我が家だ。三つめの窓─リビングルームの明かりを見上げて、急な坂をのぼっていく。吉岡は知らない。若い連中も知らない。話すつもりなど、まったくない。それば家族ですら知らないことだ。本文P.7〜16より
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