第一部
第一章
予兆
服部坂を風が吹き上ってくる。風に向って八郎は坂を降りて行く。頭の上をどんどん雲が流れる。坂下に広がる小日向の町は、忙しく光ったり繋ったりしている。ゴーッという音が向うからきて空を横切っていったと思うと、遠くの方でヒュウーと消えた。風が「もすそ」を引き摺っている音だ、と八郎は思う。八郎は「もすそ」という言葉を憶えたばかりだった。「もすそ」は「裳裾」と書く。裳裾を引いて風は走る。してみると風は女だ、と八郎は思う。風は裾の短い絣の着物を引き剥がそうとするように吹き上げてくる。それを辛うじて押えている黒い三尺帯に、八郎はキャッチャーミットを括りつけている。右手にはバットを持っている。八郎は坂を降りながら、風に向ってバットを構えて振った。「佐藤先生のとこの坊やないですか?」坂を上って来た男が立ち止っていった。
風の中で黒っぽい羽織と着物が痩せた身体に巻きついて、波に揉まれる昆布のように揺れていた。「そうだよ」そのまま通り過ぎようとすると、「やっぱりィ……」大仰に頷いて、「お父さん、おうち?」馴れ馴れしくいった。「知らねえ」素気なくいってからふと視線を感じて目を向けると、男の後ろに女がいた。紫と薄い鼠色の同じ柄の(それは確か矢絣という柄だと伯母さんがいっていた)羽織と着物を着て、臙脂のショールを顎の下でしっかり掻き合せていた。大きな廂髪が風に乱されるのを気にするように、俯き加減に頭を傾けて、上目遣いにじっと八郎を見ていた。
黒く光る、愛想のカケラもない大きな目だった。「道、間違えてしもうてね。俥宿の前を右へ曲るのを忘れて、真直に行てしもたもんやから」
大阪弁の男はいわでものことをいい、「お父さん、ご機嫌どうやろ?」「知らねえよ」いい捨てて通り過ぎた。坂はその先で二股に分れる。左へ行かないで右へ行くんだよ、といおうかと思ったがやめた。ふり返ると、思った通り、二股を左へ上って行く男と、その後ろからとぼとぼとついていく女の後ろ姿が風に煽られていた。それが横田シナと佐藤八郎の最初の出会いである。大正四年秋の、強風の吹くその日、横田シナはそんなふうに登場した。気乗りのしなさそうな、美しいけれども陰気な顔を俯けて、意志のない、ただおとなしいだけの女のように黙りこくって、小石川区茗荷谷の八郎の父、佐藤沿六の家に向って坂を上って行ったのだ。
それが佐藤家の混乱の端緒である。もしもその日、横田シナが三浦敏夫に連れられて来なかったら、佐藤家はそれなりの安泰をつづけたことだろう。たとえ佐藤家の平和が他の家では滅多に見られない特殊なものであったとしても。いうまでもなく当の横田シナは(そして彼女を引っぱって来た三浦敏夫も)これから自分たちが果すことになる佐藤家での役割りを知らなかった。彼女は女優になりたいというただ一つのことを胸に、三浦に引っぱられてやって来た。これから自分はどうなっていくのか、本当に女優になれるのか、想像もつかぬままに半ば怯気づき、半ば期待を持って佐藤治六の門の前に好んだのであった。佐藤治六は雅号を紅緑といい、新聞小説を書かせれば当代人気随一といわれている大衆小説家である。
彼が新聞に小説を書けば購読部数が伸び、その小説を劇化すれば必ず当る。小説を書くようになる前は、彼は松竹新派の脚本を書いていた。その前は子規門下の俳人で、その前は新聞記者だった。藩閥政府に反発して改進党の陣笠だった時代もあり、一櫻千金を夢見て事業を始め、詐欺師呼ばわりされたり、中国革命に加担し警視庁につけ狙われたこともある。そして今は小説を書く傍ら「新日本劇」という小劇団の顧問として羽振がいい。紅緑については毀誉褒貶、さまざまの評価があるが、自らは”野人”を標榜して他人の思惑など気にせず、思うままの生活をしてきた。
五、六年前は子供の飴代にもこと欠く暮しをしていたが、その時でも居候や女中を置いていた。小説を書き始めてからは少からぬ金が入るようになったが、入れば入るで入った以上の生活をするので、家の中は常に火の車である。佐藤家にはいったい何人の人間が暮しているのか、当の沿六にもわからぬほどで、妻のハルに四人の子供、その上に夫と死に別れた沿六の姉が二人の娘を連れて世話になっており、それらに加えて二人の女中、常に人数の定まらぬ書生や居候が玄関脇の六畳にうじゃうじゃといて、時をかまわずやって来ては飯を食い、勝手に泊っていく客の出入も激しい。この邸は四百坪もあって、家は階下九間に二階二間の大きなものである。しかし家が広いから居候を置いているのではなく、居候が多いために広い家が必要になったというのが実情である。
「佐藤紅緑という男は頼ってくる者はどんな者でも受け容れる面倒見のいい男だという。東京に出て紅緑を頼ろう」三浦敏夫はそういって、横田シナを大阪から連れ出したのであった。横田シナは結婚というものを嫌い、人生に目標を定めて独りで自由に生きていきたいと考えて、女優を志した女である。二十の時、神戸に聚楽館という劇場が出来、附属の女優養成所が作られることを知って第一期生に応募した。その時の神戸新聞の養成所第一期生紹介記事は彼女のことをこう書いている。「クッキリとした丸顔の大廂髪に白いリボンのハイカラもにくからず、木綿糸縞のごく質素な着物に鼠色銘仙の羽織という飾らぬ拵えで、ちょっとどこか貞奴の面影を偲ばすような、やや険しい瞳を伏せてつつましやかにうつむいている。
ノーブルな、どことなく凄いような面持の、これで表情さえ巧みになればまず難のない女優だが、まだ娘離れのせぬせいか恥かしげな色を見せ、その口は堅く閉ざされて開かないけれど、どこやら決心の色が閃いて、岩に齧りついてもこの素志を通さねばという健気な意気が見えていた。記者はその寡黙な、沈着な、そして純な乙女ぶりに望みを繋ぎたい」実際、シナは「岩に観りついてもこの素志を通し」たいと思っている女だった。
そのこと以外には着るものも食べるものも、金にも男にも関心がなかった。養成所では模範生といわれ、卒業後の公演では常に主役か準主役を取っていた。だが一年後に聚楽館は経営困難のために映画館に変り、役者たちは解散したのである。シナが同じ役者仲間の三浦敏夫を受け容れたのは、一口にいってしまうと「面倒くさくなった」からだった。それまでシナは身持ちの堅い女という評判だったが、身持ちを堅くしていることがだんだん面倒くさくなってきた。女優と見れば男は簡単にいい寄ってくる。「ふん、また、こいつもか」と思いながら、上手にいなす術のあれこれを知らず、またそれも面倒くさくなって三浦を受け容れた。三浦は気のいい献身的な男だったから、べつに邪魔ではなかった。シナの頭にあることはただ一つ、舞台女優として成功したいということだけだったから、男などどうでもよかったのである。東京へ行こう、大阪にいてもしようがない、と三浦にいわれ、シナはその気になった。
しかし「新日本劇」に入ることには気持は進まなかった。新日本劇は新派系の芝居をする劇団である。それはいうならば義理人情や善玉悪玉の単純芝居である。二年前、シナが女優養成所に入った年、島村抱月が新しい演劇を提唱して松井須磨子と結成した芸術座は、シナを刺激しつづけていたのだ。須磨子の演じた「人形の家」は平塚らいてうら青鞜社の女性解放運動に拍車をかけたといわれている。それこそシナの理想の演劇なのである。「どうせ東京へ行くんなら芸術座へ入りたい」そういうシナを三浦はなだめていった。「とにかく、いっぺん東京へ行ってみよ。芸術座に入るにせよ、何にせよ、佐藤紅緑を足がかりにしたらええがな」そうして横田シナは気が進まぬままに佐藤紅緑の門をくぐったのであった。気がつくと、八郎の母の部屋にあの女がいた。だがいっからそこにいるようになっていたのかわからない。八郎の母は寒くなると赤ン坊のワタルを連れて茅ヶ崎へ保養に出かける。女学校が冬休みに入ったら姉も行く。二つ下の弟のチャカも行くといっている。だが、オレは行かねえよ、と八郎はいっていた。
「あんなところ、つまんねえや」海と、砂浜と、松と、渚に打ち寄せられている藻屑、腐った蜜柑の皮、サイダー瓶、そして風と波の音。そんなこといわないでお行き、とおそわ伯母さんがいった。「お行き」「お行き」とみんながいう。八郎がいないとみんなはほっとするのだ。八郎はそれを知っている。だから、「行かねえったら行かねえよ」あの女がなぜ母さんの部屋にいるのだろう?しかし八郎にはどうでもいいことだから、誰にも訊ねない。知らなくても困ることは何もないのだ。ある日、八郎は玄関脇の六畳にあの男がいることに気がついた。六畳は書生と居候でいっぱい
だ。書生と居候の区別は八郎はわからないが。あの男は書生なのか?居候なのか?「うちは金持かい?」と伯母さんに訊いたら、「冗談おいいでないよ」と伯母さんはいった。
伯母さんの二人の娘、ユウちゃんとシュウちゃんは二人とも女子大へ行っている。女子大は女の大学だ。今どき女で大学へ行くひとなんて、そうザラにはいないんだ。はなやがそういっていた。質草の心配しながら姪を女子大へ行かせる方も行かせる方なら、行く方も行く方だ、って。あの女は台所つづきの板の間で、みんなと一緒にご飯を食べていた。みんなといっても、八郎の家族は別だ。家族は板の間の右手の茶の間で、みんなよりも先に食べる。家族がすませてからみんなが食べるわけは、きっと残ったおかずをみんなに廻すためだ。殊に父さんの残りものは上等だから、みんなはそれを待っている。
八郎はみんなの食事風景を見物するのが好きだ。大飯を食うのは誰か、誰が一番厚かましくうまいもの(つまり父さんの残した刺身やカレイの塩焼)に手を出すか。見ているうちにまた食べたくなってきて、男たちの後ろから手を出して摘み食いをする。その時、誰が無頓着で誰がいやァな顔をするか、八郎は知っている。あの女は肩をすぼめ、俯いて飯粒を口に運んでいた。「さあ、横田さん、遠慮しないでお代りを……」はなやが手を出すとモジモジして、いえ、もう……という。「もう結構」の「結構」が口の中に消えている。「そんなこといわないで、もう少し……。ね?もう一口食べてちょうだいよ」いえ、ほんとに、もう……。「いえ」と「もう」の間に今度は「ほんとに」が入ったが、「結構です」はやっぱり口の中だ。「遠慮せんといただきなさい」向い側からあの男が口を出した。
「この人、恥かしがりで」男はいった。「人の見てるとこで飯食うのも恥かしいちゅうんやから」女はむっとしたように目を伏せている。女は怒ったのか?切長の目尻がきゆツと上っている。「それでもって女優になるの、ふしぎな人だな」ガヤガヤとみんなはしゃべり出す。女優の素質とは何かということについて。普段、話をさせるとうまくて面白いのに、芝居となるとからきしダメなのがいる、と元安サカラッキョがいっている。(元安にサカラッキョという渾名をつけたのは父だ)要するに問題はアタマだよ。理解力だよ。しかし、バカが結構名優になってるぜ。だからだな、何をもって悧口とし何をバカとするかだ……。
女は茶碗と箸を持ったまま、じっと俯いている。まるで裁判を受けている犯人みたいに。女は我慢している。早くみんなが自分のことを忘れてくれるようにと待っているのだ。晩飯の最中に昼間の悪戯の話題が出た時の、あの気持ときっと同じだ。八郎はしげしげと女を眺める。女は怒っているんだ、と思う。だが誰も(あの男も)女が怒っていることに気がついていない。あの女の部屋(本当は母の部屋だが)から妙に甲高い裏声が聞えてくることに八郎は気がついた。唐紙の外に立って耳を澄ますと、「いけすかないったらありゃしない」と女がいっていた。「あたい、岡惚れしちゃったわ」ともいっている。
同じ言葉を何度も何度もくり返している。「岡惚れしちゃったわ」八郎はあの女の妙なイントネーションを真似していった。その声はあの女にも聞えた筈だが、女は八郎と会っても笑いもせず何もいわずに知らん顔をしている。女の声は二階からも聞えてくる。その時は自分の部屋でいっている時よりも、もっと大きく高く不自然に張った声だ。八郎は梯子段の真中へんに腰を下ろしてそれを聞いた。本文P.9〜17より
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