アー・ユー・ハッピー
 
  伝説の「成り上がり」は壮大な予告編だった。 すべての世代に贈る素手でつかみとった幸福論  
著者
矢沢永吉
出版社
日経BP出版センター
定価
本体価格 1300円+税
第一刷発行
2001/02/15
ISBN4− 8222−4215−3

本を出すのはひさしぶりだ

本を出すために、オレは生きてきたわけじゃないから、こうしてひさしぶりに本を出すことになって、なんだか不思議な気分もある。正直申し上げて、『成りあがり』の続きをつくるつもりはなかった。オレの中ではあれでもう終わっていた。『成りあがり』を出してから、もう二十年も経つ。タイトルに「あがり」って付いてるくらいだから、あのときの矢沢永吉が、次の本がでるまでしぶとく生きているなんて、思っていたやつは少なかったんじゃないかな。ところが、だったね。

オレは、あのときに言ったのを憶えてるよ。「五十になってもケツ振ってロックンロールを歌っているような、かっこいいオヤジになってやる」って、考えてみたら、予告していたよね。どうよ、ほんとに、その通りになっている。あの野郎、生きてたよって、怒っているやつもいるかもわかんないね。オフコース、そんなやつらの思い通りになる矢沢じゃない。

おまえ、勉強不足だ。考えが浅い。いわゆる、一般の芸能界の常識ってやつでいったら、矢沢の黄金期ってのは、あの本がピークで、その後、どれだけ保ったかはわからないけど、死んでいてもおかしくはない。見当ちがいの批判をされたわけじゃないんだ。だけど、それは、単なる常識。もともと、矢沢は常識から外れたところがらオギャーっと産まれたわけだから、常識で計ってもダメなのよ、悪いけど。つぶれてても、おかしくなかった。オレだって、ある意味じゃそう思うかもしれない、本人じゃなかったら。いや、後ろを振り返ったら、いつ消えててもおかしくないくらい、事件事件事件、事故、負け負け、口惜しいこと悲しいことの連続だったとも言える。

だけど、オレはいまここにいる。なぜ?常識の当てはまらない矢沢だから?ちがうんだよ、それだけじゃない。いまだから、そう言えるけど、ほんとに紙一重でがんばってきたからですよ。オレの友達にも、ガッツあるやつはいっぱいいるけど、そいつらと同じ。必死でやってきただけ、負けたら、次は負けないようにしよう、失敗したら、どうして失敗したのか手探りで探るよね、誰でも。そういうことを、ひとつずつやってきたのよ。『成りあがり』の主人公の永ちゃんだって、そこは同じ。

神様はそういうところで、大サービスなんかしちやくれないから。いや、苦しいことのほうは、大盛りでサービスしてくれたかもわかんないよ。そういう話を順番にしてるだけでも、一冊の本になるくらい、経験がたまったということだろうね。ほんとうは十年前、この本のもとになる本を出そうとしたことがある。そのとき、横にいてくれたのが糸井重里だった。糸井はいつもオレ自身を引っ張り出してくれる。『成りあがり』をつくったとき、それをすごく感じた。心のどこかで、「本なんか二度とつくる気ないけど、いざというときは糸井とだな」って思ってた。でも原稿があがって頭から尻尾まで読んでみると、オレはなんかちがうと思った。ちがうんだってカンが働いたんだね。

糸井に聞いてみたら、「永ちゃん、オレもそう思った」じゃ、やっぱり眠らそう。原稿は金庫の中で十年間眠ってた。二〇〇〇年夏、うちのマネージャーから電話があった。「ボス、金庫を整理してたら、十年前の原稿が出てきました。なつかしくて、ぱらぱら読み始めたら、すっごく面白くて。読み終えて気がついたら真夜中になってたんです。あのときはボスがやめよう、って言ったけど、今だったらいいんじゃないですか?」オレは糸井に相談してみた。原稿を読んだ糸井は言った。

「今なら〉ほんとに面白いよ。やろうよ」「そうか、糸井もそう思うか………。OK、ならやろう!」ということで本がスタートした。『成りあがり』のその後の矢沢永吉が何を考えてどういうふうに生きてきたか、今ざ−っと経験というカードを並べて一冊の本にしてみようと、そういうことになった。考えてみれば『成りあがり』の後のほうが、オレの人生は長いし、若さから大人ってものになって、考えたりぶちあたったりしたことの分量も、パンパじゃなく増えてる。

右も左もわからないのに、精いっぱいツッパってサクセスストーリーを書きましたっていう永ちゃんの時代から、その後のほうが、ある意味じゃ、リズムとかテンポとかは激しく見えないかもしれないけど、でかい曲になってるという自信はあるね。そういうものをサクセスストーリーをつくった人間がどうやってあがいて壁だ山だを乗り越えてきたのかっていう話こそが、二冊目の本なんだと思ったんだ。結果的に、青春時代の、短くて激しくて、負けを一回でも認めたらつぶれちまうっていうような『成りあがり』の次は、考えようによっちゃ、もっと激しい本になったかもしれない。

だけど、激しさは、表からは見えないんだ。なかで燃えていて、ほんとに生きることの熱さを知ってる人間が見たらわかるっていうような、そういうエネルギーだから。オレも、もう五十一歳になった。五十代てのはすごくいいもんだ。たんに年輪を重ねたからいいっていうんじゃない。気持ちがストレートに出せる。まわりの環境であるとか、そこで起こっているものが、すごくストレートに見えるようになるんだ。

バランスの取れた、この立っている位置がたまんなく愛おしい。これは、探し続ける二十代、あがきつづける三十代をちゃんと通ってきたから、言えることなのかもしれない。二十代、三十代の矢沢はマジすぎるほどマジだった。一部の人間には迷惑なくらいだったと思う。でも、マジっていうのは大事だったと思う。ヘラヘラしていないことは大事なことだ。逃げないで下手くそでも、やるっていう姿勢とか。オレの五十代は、ごきげんだと言えて、よかった。だけどいま、生きるのが辛いと思っている五十代も多いかもわかんない。組織のなかでがんじがらめになって、組織そのものがもうどうにもならなくなっている。組織はもう破綻寸前だ。

そういう波に巻き込まれて抜けられなくなっている。だけど、オレぽっかりじゃなく、年を取ることを怖がってない人は、けっこういるもんだと思うんだよ。先日オレはホテルでマッサージを呼んだ。少し年輩の女性が来た。オレはマッサージなんかされ慣れていないから、つい気をつかってしまって。 「もう、このお仕事は長いんですか」なんて話しかけた。「いいえ、まだ経験は浅いんですが」なんやかんやと話しながら、会話が続いて。その人が、「私はいまとても幸せです。自分の手に職を持てて、こうして仕事ができる。世の中、不景気だ、失業だといっている時代に、自分の手で稼ぐことができる。子どもたちは、お母さん、もう仕事をやめて、うちに来たら、と言ってくれる。

だけどわかるんです。子どもたちのうちに行っても、一週間なんですよね。だから自分の手で稼いで、自分で食べる。こんなありがたいことはないですね」オレには彼女の話すことの意味がよくわかった。「よくわかります」とオレは言った。「え?矢沢さん、わかりますか」「わかりますよ。なぜかというと、ぼくは小さいころから、そのことをおばあちゃんに教えられてきたんですよ」おばあちゃんはいろんなことを教えてくれた。オレはおばあちゃんの長男の息子だった。オレはおばあちゃんに育てられた。おばあちゃんはたくさん子どもがいたのに、子どものやっかいにはならなかった。子どもたちは「うちにいらっしゃいよ」と言うのに、行かなかった。

行けばそれなりによくはしてくれる。だけど、本当の力ンファタブル、本当に気持ちいいことは、自分で稼いで、その金で暮すことだったんだよ。おばあちゃんは市役所の紹介で草刈りの仕事をして、一日いくらの日当をもらって、それでオレを中学卒業まで育ててくれた。高校はもうバイトできたから、自分自身でやっていけた。『成りあがり』でも書いてるけど、ほんとに貧乏だったけど、おばあちゃんは教えてくれた。

誰にも頼ることなく、自分の手で金を稼いで、それで食べていくのがいちばんカンファタブルなんだっていうことを。誰かに依存していたんじゃ、カンファタブルにはなれない。誰かの情けやら義理やらをあてにして、もたれかかっていたら、いつでも不安に脅かされることになる。オレは、いま生きるのがつらいって言ってる人は、やっぱり、どこかに自分の生き方を自分で決められないって背景があると思うんだ。誰かの身勝手だの、景気の流れだの、自分じゃないものの決めた通りに流されるんじゃ、不安になるのは当たり前だからね。

依存から離れるってのは簡単なことですよとは、オレだって言えない。だけど、やっぱり、そうなんだ。かんじんなのは手前の足で立つことなんだ。マッサージしてくれたあのおばちゃんのように。七十歳すぎても草刈りして市役所から日当をもらって、それでオレを育ててくれたおばあちゃんのように。普通に考えたら、貧乏だとかへちまだとか言われるのかもしれないけれど、どっちが幸せだっていえば、オレはもう答えは見えてると思うよ。依存しないで生きてるほうが、こっちのほうが、人間のモトでしょう。だから、みんなに聞きたい。

アー・ユー・ハッピー?

 

 

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