なぜ仕事するの?
 
  松永真理の本 新入社員 必読!! 超アナログ人間だって I T できる!「iモード事件」の松永真理がおくる ・・感動のリアルビジネス・ドキュメント  
著者
松永真理
出版社
角川文庫 / 角川書店
定価
本体価格 476円+税
第一刷発行
2001/2/25
ISBN4−04−356601−8

 

いったい自分は何をやりたいのだろう。
何をやったら退屈しないでいられるのだろうか。
私の20代は葛藤だらけだった。
「就職ジャーナル」「とらば−ゆ」編集長を歴任、
のちにiモード開発の立て役者となった著者にも、
こんな時代があった!就職難時代の仕事選びから、
現場で出会った数々の試練、そして雑誌一冊を任されるまで。
ビジネスの第一線で活躍を続ける著者が、
心の揺れをありのままに綴り、
頼れるセンパイとなってその対処法を見つめた、
仕事エッセイ集。

はじめに

ああはなりたくない。ああはなりたくない。20代のとき、この言葉を何回つぶやいたことか。いったいどれだけ多くの「ああはなりたくない」人を見れば、ああならなくて済むのだろうか、と考えたことがある。

いっぽうで、ああはなれない。とてもじゃないが、ああはなれない。立派すぎる「ああはなれない」人をどこまで認めれば、私には無理だとあきらめがつくのだろうか、と感じたこともある。
私の視界の中には「ああはなりたくない」多くのサンプルと、「ああはなれない」少ないサンプルのどちらかしかなかった。私の望む「ふつうにいいもの」は、ひとつもなかった。

それにしても、女たちが年上の女性を見る視線は、恐ろしい程きつい。「嫌ねえ、あの オバさん」と言い放つ時は悪意に満ちてるし、「あの人は、特別よ」と断定する時は敵意にあふれている。

私は20代のほとんど、正確にいうと21歳から31歳までの10年にわたって、むき出しの悪意と敵意の視線を年上の女性たちに浴びぜ続けていた。なぜ、そこまで何にもしないで平気なの?なぜ、そんなにしてまで無理するの?

どこにも自分の居場所がない焦りを、相当に意地の悪い視線にして他人にぶつけていた。なぜ仕事ってするんだろう。私はこの答えをずっと探していた。「できることなら、やりたくないもの」
「まちがいなく、お金のため」

「自分を表現できる手段にできたらいいなあなんて」

「人間の自立には欠かぜないもの」

「ヒマつぶし、ってとこかな」

いろんな人の答えを聞いても、なかなかピンとこない。

「ものごころついた頃から、女も一生仕事をするものだと思ってきました。これだけは一度も迷ったことはありません」
こう言われると、私には立派すぎて何も話せなくなる。「お金のため以外の、何物でもないわよ」
またここまでばっきり断定されると、「そうですよね、それしかないですよね」とスゴスゴと帰るだけである。

もっと迷いとか心の揺れとか思いめぐらすこととかないんですか?仕事する目的ってそこまでスパッとひとつに絞れるものなんですか?時に重心が移ったりすることってないんですか?
さて。

この本はそうやってずっと首をかしげながら見てきた十数年を記したものです。私は「仕事」をテーマにした仕事につきながら、十数年かかってようやく見えてきたことがあります。それは、あとで気づくのではどうしようもなく遅いことがあるということ。

このことは、できることなら20代でわかったほうがいい、ということ。もし、20代で気づかなかったとしても、いつまでも自分のことを無視し続けたり、気づかないふりをしていることば、死ぬまで悪意と敵意のなかで生きることになるということ。

とくに、これからの高齢化社会と情報化社会は、その状態がますます加速することを約束しています。自分は年とっていくのに、次から次へと新しいもの、美しいもの、輝かしいものが誕生

してくるのを、情報化社会は否応なしに運んできてしまいます。これでは、心穏やかに生きてはいけません。もちろん悪意も敵意も多少はないと面白くないから、適度にキープしておきましょう。

ただ、それしかないのは困りものです。若いうちならまだ他人にあたって発散できても、体内のエネルギーが梱れてくると、その毒気は外に出ることなく自分の体内を巡るようになります。すると悪意と敵意はいつのまにか失意に変質していきます。

そこで、この本では人生80年という時間とどのように向き合ったら悪意と敵意だげにまみれずにいられるのか、仕事と結婚のふたつのアイテムをもとにスタディしたものです。なぜ、仕事と結婚なのか。

それは、自分のことを知るのに、これほど格好の材料もないからです。また、このふたつはよく似ています。不確実な情報のもとで、人生の大きな選択を強いられるところ。
なんだかんだいっても、ほとんどの人が関わっているところ。双方ともに、いい加減にごまかして過ごせるほど短期間ではなくなっているということ。煩わしい人間関係とやらがまとわりついてくるあたりまで、もうそっくりです。また時間的経過とともにシチュエーションがすこしずつ変わっていったり、心のありようが微妙に変化していったりで、それはそれは不測の事態も生じてきます。たくさんの変数が隠されているところなども、同系同類と言えるでしょう。

ところが、この類似点に気づかずに、仕事は結婚の敵だ、と思いこんでいる人がまだ多くいます。いっぽうで、「結婚は仕事の邪魔になる」と警戒している人もいます。そういう人は、「私がお嫁さんを欲しいくらい」と、悲しい言い方をします。

たしかに、仕事も家庭も子供も、って大変ですよね。しかし、大変だ大変だと言ってるだけでは、何も見えてきません。一度、実践的スタディをやってみなくては、いつまでたっても悪いのは社会と言うだけで、自分のことがちっとも見えてきません。
吉本ばななは『キッチン』の書き出しにこう書きました。「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」うっとりと眠れる場だともいっています。何も眠るのに適した場所は静かな寝室だったり、ふかふかのお布団とは限らないんですね。こういつた自分にふさわしい居場所が見つかると、本当にいいと思います。

第1章

なぜ自分を無視するの?

3年つとめるつもりが、入社して18年めを迎えた。おそろしく忙しい会社で深夜にまでおよぶ編集という仕事で、なぜこんなに続いたのか。周りも驚いているが自分自身がもっと驚いている。
小学校1年生のときに腎臓をわずらった。高校3年生のときは急性肝炎になった。肝腎かなめのふたつの臓器を、早くも10代までに病んでしまったことになる。疲れやすく強靭な体力をもちあわせなかった。

では、知力にあふれていたかといえば、体力よりもさらに自信がない。三姉妹の長女は優等生で、末っ子の私はいつも問題児だった。「あのみどりさんの妹」という先生たちの不用意なひとことで学校嫌いが高じ、勉強にはすこしの興味も持てないまま10代を終えてしまっていた。

体力もない。知力もない。それなのに仕事を長く続けられた理由をひとつ挙げるとしたら、それは行きつ戻りつした、あの半年間があったからだ。長いトンネルを抜けたことで、ようやく私はあることから解放された。

待ちぶせしてる45年の退屈そろそろ大学も最後の年にさしかかろうとしていた頃である。新聞を読んでいて、ある記事に目が止まった。そこには女性のライフサイクルが大きく変わってきていることが記されていた。寿命はのびるいっぽうで、子供は減るいっぽう。

子育てを終えるのが35歳で、そのあと天寿を全うするまでにまだ45年間あります、と。私は、45という数字にめまいを覚えた。21の私にとってそれは倍以上もある、とてつもない数字に思えたのだ。ここまでくるのだって結構たいへんだった。

それなのに子育て後にその倍の長さがあるということは、いったいどういうことなんだろう?これまでは6歳になると小学校へ行き、12歳になれば中学、15歳には高校へ行った。しかし、これからは他人が決めることはなにもない。いつ、なにをやるか、やらないか。すべて自分が決めることになる。

さあ、困った。45年をご自由にどうぞ、といわれてもやろうと思ったメニューはもう終了済みだ。いくつかの趣味を回すにしても結構な期間である。おまけに私の性格はあきっぽいときている。趣味もお稽古ごとも、これまで長続きしたためしがない。

習字は足がしびれるのが嫌で1年ともたなかった。絵は先生が嫌ですぐやめてしまった。ソロバン(当時は町の公民館の畳の間でなんとソロパン塾が開かれていた!)にいたって は、あの10センチ幅のなかで珠を動かすことにどうしても耐えられず3回しか行かなかった。

泣いても笑っても子育て後に45年もある。ひとつ飽きふたつ飽きしてたのでは、とても間がもちそうにない。ごまかしがきくような長さでもない。ふつうに結婚して、ふつうに子供を産んでと、ふつうを目指していた21歳の女の子にしてみれば、およそふつうとは思えない数字が重くのしかかってきたのである。

それも、まわりからチヤホヤされての45年ではない。オバさんだの、バアさんだの、他人からうとまれながらの45年だ。そのうち歯は抜け、髪は落ち、目はかすみ、耳は遠くなり、足は動かなくなる。そんな環境下での45年間。何が楽しゅうて生きているのかしらん、と歯がなくなってから気づいたのではもう遅い。

おいしいものを前にしても歯がたたないのだ。そこで私は、いろいろ思いをめぐらしてみた。おそらく一生長持ちするような「好きなこと」を持たないと、これはとんでもないことになるな、と。一般大学で一般教養を身につけ、一般企業に入って一般事務に就く。そして、一般主婦になってという「一般」お楽しみづくしを考えていた私だが、そんな悠長に構えたところでつぶせそうにないくらいの時間が横たわっているとそのとき気づいたのである。

それならばいっそ、好きなことを仕事にしてみるのはどうだろうか。好きこそ物の上手は、あの10センチ幅のなかで珠を動かすことにどうしても耐えられず3回しか行かなかった。
泣いても笑っても子育て後に45年もある。ひとつ飽きふたつ飽きしてたのでは、とても間がもちそうにない。ごまかしがきくような長さでもない。ふつうに結婚して、ふつうに子供を産んでと、ふつうを目指していた21歳の女の子にしてみれば、およそふつうとは思えない数字が重くのしかかってきたのである。

それも、まわりからチヤホヤされての45年ではない。オバさんだの、バアさんだの、他人からうとまれながらの45年だ。そのうち歯は抜け、髪は落ち、目はかすみ、耳は遠くなり、足は動かなくなる。そんな環境下での45年間。何が楽しゅうて生きているのかしらん、と歯がなくなってから気づいたのではもう遅い。

おいしいものを前にしても歯がたたないのだ。そこで私は、いろいろ思いをめぐらしてみた。おそらく一生長持ちするような「好きなこと」を持たないと、これはとんでもないことになるな、と。一般大学で一般教養を身につけ、一般企業に入って一般事務に就く。そして、一般主婦になってという「一般」お楽しみづくしを考えていた私だが、そんな悠長に構えたところでつぶせそうにないくらいの時間が横たわっているとそのとき気づいたのである。

それならばいっそ、好きなことを仕事にしてみるのはどうだろうか。好きこそ物の上手なれで、さすがに何十年もかければひとつぐらいは何かものになるかもしれない。かくにも、45年間自分を飽きさせないことが最優先の課題なのだ。

ココ・ジャネルは、「なぜ仕事するの?」と聞かれて、こう答えた。「私に退屈してなさい、とでも言いたいの?」とにも

 

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