ホテルカクタス
 
  書き下ろし ・・・・季節は美しくめぐり、おかしくて楽しい日々は、少し哀しくて過ぎていく・・・・ 世の中に不変なるものはないんだ ・・・・  
著者
江國香織
出版社
BILLIKEN BOOKS
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2001/4
ISBN4−939029−14−X

 

 

ある街の東のはずれに、ふるいアパ!トがありました。
ふるい、くたびれたアパートです。
灰色の、石造りのその建物は、でも中に入るとひんやりとして、とても気持ちがいいのでした。

ホテル・カクタス、というのが、このアパートの名前でした。
ホテルではなくアパートなのに、そういう名前なのでした。
ホテル・カクタスにはごく小さな中庭があり、そこにはたいてい黒猫が一匹ねそべっていました。

十三歳になる雄猫で、大家さんに飼われているのでした。
かつては随分伊達者で、放蕩の限りを尽くしましたが、いまでは昼寝ばかりしている年寄り猫です。
このアパートの玄関を入ると、室内とも室外ともいえない空間があります。

右側の壁に郵便受けが並んでいて、左奥に鉄の蛇腹戸のついたエレベーターがあり、その先は狭い通路になっていて、つきあたりが中庭です。
玄関ホールの床は黒と白のタイル貼りでしたから、上等の靴をはいた人が入って来ると、コツコツと音が響きました。でも、ここには、上等の靴をはいた人は滅多にやってきません。アパートは三階建てでした。

一つの階に四つの部屋がありましたから、全部で十二の部屋がありました。
三階の一角に帽子が、二階の一角にきゅうりが、一階の一角に数字の2が住んでいました。
三人は気の合う友達でした。

夜になると、いつもきゅうりの部屋に集まって、語り合ったり、お酒を飲んだり、音楽を聴いたりして、一緒にすごすのでした。
そういうとき、帽子はいつもウイスキーを飲みました。
きゅうりはビールを飲みました。

数字の2はお酒が飲めませんでしたから、グレープフルーツジュースを飲みました。
そういうわけで、きゅうりの部屋にはいつも、ウイスキーと、ビールと、グレープフルーツが準備してあるのです。
一度、きゅうりの故郷から、たくさんのいちごが送られてきたことがありました。

きゅうりは数字の2のために、それで新鮮ないちごジュースをつくろうと申し出たのですが、2は困ったようにうつむいて、やがて決心したように、「やめておくよ」と、言ったのでした。
「僕がグレープフルーツジュースを飲むのには理由があるんだ。グレープフルーツなら一年中.いつでもあることがわかっているからさ。
安心なんだ。これが桃であってごらんよ。秋にはもう飲めなくなってしまう。

果物屋にいけば絶対に手に入るものじゃなきゃだめなんだ」きゅうりには、その理屈はわかりませんでした。
「だって、きみはいま、現にいちごを手に入れてるじゃないか」そう反論してみましたが、無駄でした。2は弱々しく首をふり、「いつでも手に入る、というところが大事なんだ。
きみにはきっとわからないよ」と、言うのでした。

数字の2は、そういう性格なのでした。ですから、友達にうちとけるのにも、いちばん時間がかかりました。
ここだけの話ですが、2は、はじめ、帽子ときゅうりが苦手でした。それがどうして気の合う友達になったのか、そこのところがらお話することにしましよう。

・・・・続きは書店で・・・・

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