石庭に描いた波目を無残にくずし、小さな赤い靴は猶も元気に動きまわる。
自分で飛び散らせた砂が、無邪気な白桃のようなその顔にも降ってくる。
それがまた嬉しいらしく、赤い靴は予想もつかない自由さで縦横に動いた。
対照的によく日焼けした祖父らしい男の顔が石庭の縁でゆらめき、了供が前をよぎるたびに苦しげに歪む。
伸ばした手を難なく擦り抜ける子供を目だけが追いかけ、その鞣し革のような顔に細かい皺がふえる。
苛立ちと困惑で、腰の伸びない体ぜんたいが小刻みに震えていた。
いとしくて仕方ない孫の狼籍を叱りかねている気持ちの弱さだけでなく、幼子の動きを抑えられない自身の足腰にも老人は苛立つようだった。
ふらつく膝も痛そうだった。
則道はこれ以上黙って見ているのがひどく残酷に思えて声をかけた。
「大丈夫ですよ。構いませんから」則道は心から言った。
今し方描き終えた波目をくずされたのになぜか気持ちは平静だった。
そしてそのことに、些か驚いていた。
則道はそれから自分も石庭に入り、きれいに仕上がっていた波目を踏みつぶしながら二人に近づいていった。
夢はそこで終わった。
胸元にかいた汗がまだ乾いておらず、シャツが冷たく重かった。
則道はゆっくり体を起こすと布団の上に立ちあがり、圭子の寝息をたしかめてから階下へ降りた。
階下といってもそこは二階である。
二間幅の、高さ六十センチほどの窓から、池の睡蓮の花が今にも開きそうな様子がみえた。
水面には初夏の青空が、ちぎられた色紙のように浮かんでいた。
そろそろ三階の屋根裏に寝るには暑い季節だ。
しかし古いお寺の庫裡だから賛沢は言えない。
則道はそう思ってシャツを着替えると、もう一度階段を登り、圭子の隣に横たわった。
則道はすぐに今し方の夢をぼんやり憶いだし、そしてなぜかウメさんのことを憶いだしたが、夢がどんなふうにウメさんと関わっているのか判らなかった。
ウメさんは病院で今ごろ生死の境にあるはずだった。
さっきの老人は数年前に亡くなったウメさんの旦那さんなのか……。
だとすればあの子供は、……もしかすると自分なのだろうか ?
則道はまだ幼稚園にも行ってない頃、毎日のようにウメさんの家に行って覚えたての舎利礼文や般若心経を唱えたことを憶いだした。
則道は「虫の知らせ」という言葉を思った。
そして、ウメさんは今日、やはり予言どおり死ぬのだろうかと思った。
五月九日という一度目の予言はからくもはずれたが、蘇生したウメさんは再び同じ月の二十九日に死ぬと言い放った。それが今日なのである。
ウメさんのような人が世間ではおがみやと呼ばれていることを知ったのは随分あとのことだが、予知能力というのか、仏教では神通力と呼ばれる不思議な能力がウメさんにはあって、則道が子供の頃から遠く近く様々な悩みごとが持ち込まれていたようだ。
その人々が信者さんと呼ばれていることも、則道は僧侶になってから知った。
しかしそのことが、例えば寺でしたり顔で取り沙汰されることもなかったし、則道が毎朝のようにそこへ出かけることも、住職夫婦である両親には早くお経を覚える手だてとして、また幼子の拡がってきた行動半径の限度として歓迎されていた気がする。
その家は寺より早く朝日の射す小高い丘を背にして建っており、まだ寺との間に家の少なかった当時は、危うげな足取りで歩いていく則道の姿が境内からも見えたらしい。
憶いだすとその家の茶の間の横には祭壇があり、お寺なみの太い蟻燭の灯りのうしろには真ん中に不動明王の座像、左には愛染明王座像が鎮座していた。
右側には小さな仏像がたくさん並んでいたが、則道は詳しく見入ったこともなかった。
ただ不動明王の口許の上下に差し違えるように生えた金色の歯がウメさん自身の八重歯の金歯と似ていたため、仏像の名前も知らない子供にとってそれは、なにかウメさんに関係のある像なのかと思い込んでいた記憶がある。
信者さんたちはその頃も訪れており、一度則道がまだ途切れがちなお経をあげている横で、長火鉢を前にキセルをふかすウメさんに相談している女性を見かけたことがある。
則道がお経をあげ終え、いつものように飴を貰おうとウメさんに振り向くと、ウメさんはまるで不動明王のように口許を歪め、左右の眼つきを違えてその人を睨むと、キセルを長火鉢の縁に打ちつけて言った。
「あんたの家の茶の間に、やっぱりこんなふうな引き出しがあろう」煙を引きながらキセルが背後の引き出しを指す。
「その中にあるよ」きっぱりそう言ったウメさんの頭のうしろでキセルが光り、それがやはりお不動さまの剣のように則道にはみえた。
あとでウメさんから聞いた話では、その女性は大金を入れた財布を落としたのだという。
探しあぐねた末に相談に来たというのである。
則道は恐るおそるウメさんに訊いてみた。
「それで、財布はその引き出しにあったの?」ウメさんは則道を睨みつけ、笑っているような怒っているような顔で言った。
「そりゃあ、あるさ」信者さんらしい人をウメさんの家で見かけたのはその一度だけだが、則道はその後何度も不思議な話を聞いていた。
ウメさんには材木屋の番頭をしている旦那さんがおり、檀家でもあった。
材木屋がひまなときに旦那さんはよく寺にお茶を飲みにきて、緩んだ肉厚な頬の無精ひげをうごめかせながら話していくのだった。
最初の予言は病院側も聞きつけ、なんとしてもその日にだけは死なせるわけにはいかないと意気込んだ。
そして一旦は停止した心臓がマッサージされている時、ウメさんはまるで怒ったように周囲を睨みつけて蘇生したのだが、その数日後、見舞いに来た特別養護老人ホームの寮母さんに告げられたという二度目の予言も、最初のときと同様病院内にあっというまに広まっていた。
一年に百八十件以上の手術をこなすという気さくで口髭のある医師も、「まいったよ、ウメさんには。おがみやさんだかなんだか知らないけど」と見舞いに訪れた則道に愚痴った。
三人いた看護婦たちがそれを聞いて皆深くうなずくのを見て、則道は「総力戦」という印象をうけたものだった。則道は一週間ほど前にも法事を二つ終えたあと、作務着にきがえて見舞いに行ったのだが、実はその日不思議なことが起こった。
ウメさんは復活後の元気もやや衰え、吐く息にさざ波のような音が混じっていた。
どうやら則道の幼名を呼び、「しっかりやるんだぞ」という内容を喋っているようだった。
聞く意識をこちらが緩めると声はすぐに音になり、苦しげな表情も瞬間、顔のあちこちにあるほくろのようなシミの、なにか理解を超えた規則的な動きに見えたりもした。
金歯を含んだ入れ歯は上下ともはずされ、言葉はさらに聞きとりにくい。
ふいにウメさんは則道の差しだした手を痛いほど握り、両目を違った大きさにして則道の眼をにらんだ。
「立派な和尚さんになるんだぞ」そう聞こえた。それは則道が子供のころウメさんの口から何度も聞いた言葉だった。
則道は一瞬、子供のころの情景を憶いだしていた気がする。
固く握ったウメさんの手の指を一本ずつはずし、「もう神通力も鈍ってるんだから、まだまだ元気なはずだよ。また来ます」そう言って後ろ手にドアを閉めたとき、則道ははっきりと思った。
なにか、妙だ。
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