東大生はバカになったか
 
  知的亡国論+現代教養論 ・知的亡国の時代は2001年からはじまる・文部省が世界最低にした日本の大学・ゆとり教育が招く日本の衰退期は2007年から・仰天!!東京・札幌間の距離は「30km」「10万km以上」と答える東大理1生の頭・東大生の知的退廃─―シケプリ構造  
著者
立花隆
出版社
文藝春秋
定価
本体価格 1714円+税
第一刷発行
2001/10/30
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ISBN4−16−357850−1

はじめに

本書は、ここ数年間に、私がさまざまのところで、大学問題、大学教育の問題(学力低下問題、教養教育の問題)について書いたり語ったりしてきたことをまとめたものである。
冒頭の「知的亡国論」は「文藝春秋」一九九七年九月号に載せたものだし、最後の「現代の教養エピステーメーとテクネー」は、二〇〇一年四月に慶応大学丸の内シティキャンパスで開かれた「教養教育研究会」のレクチャーで語ったものをベースに、大幅加筆したものである。

まず最初に、ここに集められたものが、どのような経緯と意図のもとに書かれた(あるいは語られた)ものであるかを説明して、解題としておきたい。
最初の「知的亡国論」は、それに付した解説にあるように、九七年四月、文理シナジー学会主催のシンポジウムで、神田学士会館で行った「日本の高等教育の危機」と題する講演に大幅加筆したものである。

私は九六年から九八年にかけて、東大教養学部で授業を持っていた関係上、大学の教育環境の劇的変化(いわゆる学力低下問題)にいち早く気がつく立場にいた。
とりわけ、教養学部において私の世話役をつとめてくれた先生(私はその頃同じ東大でも、先端科学技術研究センターに所属していたので、教養学部で授業を持つにあたって、世話役の先生がついてくれた)が、生物系の松田良一助教授で、この先生が大学における学力低下問題の最大の論客の二人(特に初等中等教育における理科の内容切り下げ問題に関して)だったので、私はこの問題にいちはやく目を開かされた。
つまり、「知的亡国論」に書いたようなことは、私の目の前でリアルタイムで進行しつつある事態だったのである。


恐るべき事態の徴候

本文を読むとわかるが、中等教育における理科の内容切り下げは、かなり前からはじまっていた問題なのだが、それが学生の質の著しい低下という形で、学内の誰の目にもはっきりした形であらわれてきたのは、九七年になってからだった。

その学生たちが社会人として世に出てくるのは二〇〇一年だから、まだこの問題(「知的亡国論」的事態)は世の中一般の人にとって、誰の目にも明らかというところまではきていない(まだ知る人ぞ知るレベル)。

学生が大学に入学してから社会人として巣立っていくまでの四年間は、一般社会からは事態が潜伏していた四年間であり、大学人の事態認知と二般人の事態認知の間のタイムラグの四年間である。

これから日に日に、「知的亡国論」に書いたような事態の進行が誰の目にも明らかになっていくだろう。
九七年から、このような恐るべき事態が現に進行しつつあり、このままいけば、日本の高等教育システムから供給される人材の著しいレベルダウンが避けられないという警告が、いろんなレベルの大学人から、さまざまのメディアを通じて発されるようになった。

松田助教授たちのグループ(コ局等教育フォーラム」)では、この問題のこれ以上の悪化を食い止めるべく、一般の人々に事態をもっと認識してもらおうと、九八年はじめに、東大駒場に多くの大学人、教育関係者、ジャーナリストなどを集めて、この問題を議論する一大シンポジウム「日本の理科教育が危ない」を開いた。

私もそれに出席したが、そこで聞く話は唖然とする話ばかりだった(シンポジウムの内容は、『日本の理科教育が危ない』〈学会センター関西/学会出版センター〉にまとめられている)。
私の文理シナジー学会での講演も、それにもとづく「知的亡国論」の執筆も、このような活動の一環として行われたものである。

この論文は、世の中に大きな反響をもたらした。
このような事態は、大学の外の人々にはほとんど知られていなかったからである。

それからしばらくの間、同趣旨の話を求められてさまざまな場に呼ばれたり、執筆を求められたりしたので、都合がつくかぎり、それに応じた。
日本の高等教育のあり方に、私は本当に深刻な危機感を持ち、それを食い止めるためにできるだけのことをしたいと思ったからである。

衆議院文教委員会の「高等教育に関する小委員会」に参考委員として呼ばれたこともあれば、政府の科学技術総合会議政策委員会の「21世紀の社会と科学技術を考える懇談会」に呼ばれたこともある。