世界は幻なんかじゃない
 
  かつて旧ソ連から函館に強制着陸し、アメリ力に単独亡命した男がいる。当時、高校生だった俺は、函館の空に舞い降りてくるソ連軍機をぼんやり見ていた。そして今、自由を求めて、全てを投げ捨てて来た男に会うため、アメリ力を横断する旅に出た。彼が欲しがり、世界中の人が求めていた自由という幻想の霧を晴らすために。大陸横断鉄道で、熱いエネルギーに満ちたアメリ力を旅する辻仁成のフォト・エッセイ!
 
著者
辻仁成
出版社
角川文庫/角川書店
定価
本体価格 800円+税
第一刷発行
2001/09/25
ご注文
ISBN4−04−359902−1

俺には俺自身のことが分からない。
いつも世界で一番不可思議なのが自分という存在だった。
でも自分と和解しなければならない時が人には必ずあるものなのだ。

俺は若い頃、何かに顕くと、世界はどうせ幻じゃないか、と言ってその厳しい現実をのらりくらりやり過ごしてきた。
でも本当に世界は幻なんだろうか?
幻と言ってただ現実から逃避していただけなのではないか。

世界は幻なんかじゃない。
俺は歳を重ねるうちに強くそう思うようになっていった。
垂直の都市ニューヨークで独り暮らしを始めて数ヵ月が過ぎた。

毎日仕事を始める前にセントラルパークヘ出掛け、走っている人々の健康的な姿を眺めている。
鍛えられた体は一体誰のためのものだろう。

自分にノルマを課してストイックに生きる彼らの生き生きとした様子を見ていると、穴倉生活とでもいうべき執筆生活に日々没頭している自分が惨めにさえ思えてくる。
彼らの自由を信じる瞳の眩しさの理由を知りたい。

物心がついた頃から、自由とは何か、とずっと考えてきた。
二十代の頃は闇雲に自由という言葉を連呼していたように思う。

それが若さの特権というものだから仕方がないが、あの頃それがたとえ幻影であっても俺が夢に描いたあの自由というものの正体はなんだったのだろう。
音楽を聞いて、本を読みあさり、仲間たちと連日嘔吐するまで飲み歩いて、それでもまだ自由という幸福な響きを持つ怪物にはきちんと向かい合うことが出来なかった。

これが自由だ、というものにはいまだ俺は出会えていないのだ。
こうしてワープロを日夜叩きながらも、俺は一方でいつか本当の自由に触れるために行動しなければ、と何かに急かされつづけてきた。

自由という言葉はフランスで生まれ、アメリカで育てられた。
自由という響きは、無条件で人々の心を捉えてしまう。
だから自由はこれほど流布し、世界はその言葉の魔力だけを信じてここまで盲目的に膨張してしまったのだ。

世界中の民は自由を望んだ。
あのソビエトまでもが。
しかし本当に自由を手に入れた人間はその中の一体どれほどであろう。

俺はアメリカにやってきた。
自由という概念を世界中にばら蒔いた張本人のアメリカを確認するために。
しかし一言でアメリカと言ってもその国土は日本の二十四倍もある。

一番大きなテキサス州だけでも四倍だ。
カリフォルニァ州だけでも日本とほぽ同じ広さを持つ。
都市や州によって自由の角度も色彩も感触も違うはずで、この広大な国家がつくり出した自由という幻想をたった一つのイメージで括ることは容易なことではない。

バッテリーパークには、世界中からアメリカの自由の象徴である自由の女神を見るために大勢の人々が集まって来る。
フェリーに乗って、観光客は躊躇することもなくエリス島を目指す。
そして青銅色の自由の女神を拝んで、記念撮影をし、中には時間をかけて上まで登って、バベルの塔さながら聳えるマンハッタンなんかを見物したりするのだ。

しかし彼らがそこで味わう満足感は帰りのフェリーの中で風にあたれば冷めてしまうほどのものに過ぎない。
人々が再びマンハッタン島に上陸した時、誰もがこの国の自由の現実の厳しさを思い出しては、ぽんやりと放心するのである。
俺がアメリカに出発する少し前、テレビ局に勤める知人からアメリカ大陸を鉄道で横断する番組の企画があるんだが、そこでナビゲーターのようなことをやってもらえないかと いう依頼が舞い込んだ。

普段だったら断るところだが、その男が告げた、このプログラムは二十世紀のアメリカを検証するドキュメンタリーになるだろう、という言葉が俺の心にひっかかった。
「どうだい、お前さんにはぴったりな番組なんだがなあ」大陸横断鉄道サンセットリミテッド号は大西洋側のオーランドからロスアンジェルスまでを移動するアメリカ最大で唯一の横断鉄道である。
通過する駅はニューオリンズやヒューストン、エルパソ、ツーソンなど、俺がかつて一度も触れたことがない南部から西部へと拡大するアメリカの最もディープな都市であった。

しかし幾つかの書きかけの小説を抱えていた俺は、興味を抱きながらももう一つその仕事を引き受ける自信も精神的余裕もなかった。
ところが、俺がニューヨークで実際暮らしはじめた時、ある種のシンクロニシティとでも呼ぶべきか、馴染みの編集者から一枚の新聞の切り抜きがファックス送信されてきたのである。

そこには俺を跳び上がらせる驚くべき文言が書かれてあった。
「ベレンコ元空軍中尉、亡命から二十一年目の証言」
記事の見出しは俺の記憶を激しく揺さぶるものだった。

 

 

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