|

愛果が死んだ朝は、珍しく雪が降っていた。
自殺だとはっきり、電話口で真希は告げた。
遺書があったんですって。
風で飛ばされないようブロックを重しにして置いてあったんですって。
靴がきちんとそろえられていたんですって。
雪が積もっていても助からないもんなんだね。
無理もないよね、十二階だものね。東京の雪じゃ、頭蓋骨が割れてね、中身が出ちゃってたらしいの。
雪が血に染まって真っ赤だったんだって。
でもね、
顔はとっても縞麗だったらしいよ。
それでね、
その遺書なんだけど。
一言だけ、
せいぜい十センチもないもんね。
書いてあったんだって。
好きよ。
って。
1
そのままでいれば良かった。
そのまま、そこに座って待っていれば。
でも不安だった。時間とか日にちとか、間違えたのかも知れないと思いながらずっと待っているのは不安でたまらなかった。
二人の間の空気が重苦しく変わり始めているのには気づいていた。
恋愛の終わりはきっといつも、誰の場合でも、こんなふうなんだろう。
それがわかっていたのに、望みは繋いでいたかった。
好きだったから。
まだ、勝昂のことが本当に好きだった。それなのにぎくしゃくし始めたというこ
とは、勝昂の方があたしのことを嫌いになりつつあるんだろう。
董子はコーヒーのカップに指をかけたまま、灰色の街を眺めた。
さっきから、細かな雪がさらさらと落ちている。
だがアスファルトに降りたせっかくの雪は、瞬く間に溶けてしまっていた。
もう、この季節の雪は、東京では滅多に積もらない。
かといって、春はまだ遠い。
三月の声を聞いても風はいつまでも冷たかった。
勝昂との交際は二年になる。
たった二年。
クリスマスも互いの誕生日も二度ずつ祝って、それでおしまいになるのだろうか。
コーヒーショップは二階にあったので、大きな窓から通りを行き過ぎる人々の姿がよく見えた。
小さな子供を間に挟んだ若い夫婦が、楽しそうに通り過ぎて行った。
結婚したい、と思ったことはまだ一度もない。
二十八という年齢は、そう結婚を急ぐ歳でもないように思っていた。
周囲の同僚たちも、董子と同い歳で独身はたくさんいる。
この二年間勝昂とつき合っていても、結婚までは考えたことがない。
だが結局、結婚という形の上でのゴールにたどり着かない限り、恋愛はいつか終わってしまうものなのだ、と董子は思い始めていた。
通俗でも平凡でも、結婚という形式の中に逃げ込めば、恋愛の終わりをごまかしてしまうことは出来るのだ。
たぶん、結婚しても恋愛はそのうち終わり、互いに対してときめきも感じなくなってしまうのだろうが、形式が周囲を固めている以上、ただ一言のさよならだけで別れることは出来なくなる。
今、勝昂と結婚することが出来るならしたい。董子は切実にそう思った。別れたくない。
たった一言で、この二年間のことをすべて思い出に変えろと言われても、そうできるという自信がない。
勝昂は遅れていた。約束の時間より、もう二十分も。
つき合い始めた頃ならば、二十分くらいはどうということもなかった。
(本文P.7〜9より引用)
|