憂い顔の童子
著者

大江健三郎/著

出版社
講談社
定価
本体価格 2000円+税
第一刷発行
2002/9
ISBN 4-06-211465-8
小説家、「ドン・キホーテ」と森へ帰る。 滑稽かつ悲惨な老年の冒険をつうじて、死んだ母親と去った友人の「真実」に辿りつくまで。魂に真の和解はあるのか

小説家、「ドン・キホーテ」と森へ帰る。
滑稽かつ悲惨な老年の冒険をつうじて、死んだ母親と去った友人の「真実」に辿りつくまで。魂に真の和解はあるのか?
書下ろし長篇小説 「森に入って、ある1本の木を選んで、ちょうどいまの年齢の、老年の私が待っている。その私に、子供の私が会いに来るんだ。
しかし老人はね、少年に対して、きみが夢みるほど高い達成はない、この自分が、つまりきみの50年後なんだから、とはいわない。それが「自分の木」のルールだから……」

1

古義人は、幼・少年時に白楊の巨木の餐えていた記憶のある地所を母親から贈られた。
初めにその話があったのは、母親が九十歳を越えながらまだ頭の衰えていなかった時期のことだ。
数年に一度が、毎年、四国の森の谷間に帰るようになっていたから、正確にいつだったかは明らかでないが、季節としては五月半ばのことだった。
老人の臭いがするからといって、母親が開け放った空間から見る向こう岸は、すべて見慣れた樹木ながら、谷間を出て以後の歳月に巨大になって、濡れた若葉の、そそり立つ壁をなしていた。
その上辺をたち切って濃淡も陰繁もない青空だった。
下方はまだ夜明けの薄暗がりのうちにあって、こちら岸の電柱の高みだけ、川上からの陽の光をあぴていた。
コンクリートの柱に金属の、ベルトで固定された変圧器と、上下にコイルの擁みのある碍子の列が照り返している。
その脇にくちばしと足の黄色い二羽の鳥がとまっていた。
1ああした鳥は、文化を継承しませんな、と母親がいった。
電柱のさきにある金具を、椋鳥夫婦がくちばしで叩いてはカンカン音をたてておりました。
あなたが賞をもらわれた際、町の人が来て何かしたいというのでな、私はこう答えましたよ。
あの電柱のさきの金具はなんの役にってもおらぬのではないか?それを鳥が叩いて毎朝起されるので、取り去ってほしい。
ところが、町の返答はな、それは難しい、ということでした。電力会杜の管轄であるから、と……それでも翌朝から一月ほどは、笹竹を持った若い者が電柱の裾に坐っておりましたよ。
その椋鳥の、三世代か四世代後の、いまの番いはな、金具をカンカンいわせる技術を忘れてしまいました!
もっともそれは前置きで、母親は、こういうことを続けたのだ。
谷間を囲む山林も、いったん拓いて畑や家屋を造った後、放っておけぱ、わずかな間に八重葎に戻ってしまう。テン窪の蜜柑畑に建ててあった家も、住んでおられた総領事が死ぬと、いまは池の端からそこに到る道が崩れて、入口の扉の開け閉てもままならぬそうな。
あの建物を十畳敷の岩鼻に移せば、あなたが本を読んだり仕事をしたりする場所になるのじゃありませんか?一時あすこは養豚業者に貸してお
りましたが、住民運動で追いやられて久しいから、もう臭いもしないでしょう。電気と水道は引いたままにしてありますよ。
古義人はテン窪の斜面に建てられた家に幾度か案内されたことがあり、従兄のもと外交官の趣味を、好ましく思ったのを覚えていた。
母親は、すぐさま答えを催促するのでもなかったが、土地に住んでいる妹のアサに、決めたと連絡して来さえすれば、工事他はやらせます、といったのだった……
私が谷間に戻って暮すことを、ずっと考えてこられましたか?
ずっと、というのではなくて……折おりな、そう思いました。
そういう話をしたことがあったかなあ?
自分で覚えていないのなら、本気でそういったのじゃなかったでしょう。……あなたは「童子」のことに興味を持っておって、東京の大学に行ってもいつかその研究をしに帰るといっておったけれども。
母親は傭いて、口の奥の筋肉を循環運動させていた。
古義人は母親がそのように黙り込むだけで子供の自分を効果的に罰したのを思い出した。炬燵の向かい側に肩を窄めてうずくまる身体は、全体に油じみて黒ずみ、中国の新彊ウイグル自治区で見たミイラに似ていた。
朝早く起きてすぐなので耳を隠すターバンを巻いていなかった。小さな自髪頭のへりが淡く光る下、垂れた耳たぶのさきは顎のあたりまであった。
「童子」について考えることでお母さんにたぴたぴ話したのは確かで……
長い小説の一部に書かれたのを、アサに教えられて、読みましたが!子供の頃のあなたは、もっと本気で「童子」のことを考えておった、と思うて……こういうのでなしに、いつかこの土地に帰って、「童子」のことを始めるのかしらん、とも……しかし、それは私ひとりの思い込みやったかも。
母親がまっすぐ見つめてくる眼は、まぶたのなか全体が繁って、しかも燃え上る直前のようだった。
母親は怒りに近いほどの失望を示しているのだ。古義人は赤面して、学生の頃、帰省した時そうであったように、そのまま、母親が自分を観察するにまかせていた。

(本文P.11〜13より 引用)

 
 

このページの画像、引用は出版社、または著者のご了解を得ています.

当サイトが引用している著作物に対する著作権は、その製(創)作者・出版社に帰属します。
無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved.