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地上十三メートルのジャンプ台に爪先立ちし、山下公平は軽く目を閉じ、深呼吸した。
手には撞木。実際は鉄棒だが、習わしでそう呼んでいる。
鐘を撞く木のことだ。
握りを確認し、目を見開いた。前方の丸い紙幕を凝視する。
空中ブランコの出し物のひとつ、
「紙破り飛行」に臨むのだ。
セカンドの春樹が、公平の肩に手を置きタイミングを計る。
「イチ、ニイ、サン」いつものように耳元でつぶやき、「ゴー!」と肩をたたいた。
ジャンプ台を蹴る。風が全身に当たる。空中に大きな弧を描きながら、両足を撞木にかける。
二度目のスイングで公平は宙に舞った。頭から紙幕に突っ込む。障子紙が音を立てて破れた。
目の前に、逆さにぶら下がった屈強な男が現れる。
キャッチャーの内田だ。
目が合った。えっと思う。
おれの手を見ろよ。
次の瞬間、公平の腕が分厚い手につかまれた。
ただし、バンデージの巻いてある箇所よりずっと手首寄りだ。
またミスだ。最近いつもこうだ。ちゃんと腕をつかんでくれないと、リターンのときに高さが合わないのだ。
それに関節に負担をかける。
心の中で舌打ちし、再び空中に弧を描く。
スタンドの歓声と拍手が聞こえた。
人の気も知らないでー。今度は客に八つ当たりした。
リターンはいつもより反動をつけ、なんとか撞木に飛び移った。
おかげで背筋に痛みを覚えた。高い位置でリリースされ、落ちるタイミングで撞木をつかむのが空中ブランコの基本だ。
高さが狂うと、すべてに悪影響が出る。
ジャンプ台に戻った。手を広げ、拍手を浴びる。
「内田の奴、またキャッチミスだぞ」作り笑いをしたまま春樹に言った。
「そうッスか。よくわかりませんでしたけど」
「恨みでもあるんじゃないのか。こっちは冷や汗もんだよ」
場内のアナウンスが、「次は目隠し飛行です」と告げる。
「おおー」というどよめきが湧き起こった。
アイマスクを自分ではめる。うしろからは春樹が布で二重の目隠しをした。これで瞼には照明の光すら映らない。
呼吸を整え精神集中した。頭の中で演技をイメージする。
きれいに絵が浮かんだ。
よし、完壁だ。
春樹がカウントする。背中をたたかれ、ジャンプした。
一往復。
二往復。
三度目の振りで宙に舞った。
「はいっ」という声を頼りに手を前に出し、背筋を伸ばす。内田がつかみ損なった。
あっと思う間もなく、公平は深い闇へ落下していった。
咄嵯に顎を引いた。両腕を抱え込み、全身の力を抜く。
「あー」という観客のため息を聞きながら、セイフティネットの上で二度三度と跳ねた。
内田の野郎。腹の中で吐き捨てる。
「もう一度やりまーす」というMCの明るい声がテントに響いた。
感情を押し殺してジャンプ台に上がった。「公平さん、ドンマイ」春樹が明るく言う。
公平は「何が悪かったんだよ」とつっけんどんに言い返した。
「もう少し全身を伸ばした方がいいような気がするんですけど」
「そんなわけあるか。何年やってると思ってるんだ」
新日本サーカスに入団して十年。空中ブランコのフライヤーになって七年。
ここ三年はファーストの地位を守っている。つまりリーダーだ。
おまけに生え抜きでもある。両親がサーカス団員で、生まれたときから団暮らしなのだ。
二度目の演技に臨んだ。続けての失敗は許されない。
プロとしてのプライドもある。
それなのに、公平は「目隠し飛行」を成功させられなかった。
今度は、キャッチャーの内田の手に触れることすらなく、ネットに落下したのだ。
二度の失敗は生まれて初めてだった。下から内田をにらみつける。
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