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 工学部・水柿助教授の逡巡
著者
森 博嗣 著
出版社
幻冬舎
定価
税込価格 1680円
第一刷発行
2004/12
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ISBN4-344-00724-7
 
助教授は、なぜ、何を、ためらっているのか? 毎日の謎、謎の毎日。
 

本の要約

最初にお断りをしておくが、この作品は小説である。さて水柿君、この巻で予想どおりN大学工学部助教授のままミステリィ作家になる。きっかけはとくになく、なんとなく書き始めたら、すぐに書き上がった。それをミステリィ好きの妻・須摩子さんに見せたが」評価はあまり芳しくない。それで出版社に送ってみたら、なんと、本になることになり、その上、売れた!時問があれば小説を書き続ける毎日、そして幾星霜、水柿君は、すっかり小説家らしくなったが……。



オススメな本 内容抜粋

逡巡である。
春情ではない。
着メロだ、喧しいのは。
この際だから、唐突に書いて強調してみた。
このままでは、日本の未来が不安である。
だから、警鐘を鳴らしておこう。しかし警鐘の方が着メロよりも煩いはずだ。
着メドではない。
チャクメドというのは、電話のベルが鳴るやいなやプールに飛び込み、どういうわけかバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎという効率の悪い泳ぎ方も俺はできるのだぞ、と見せつけたのち、最後は「自由形!」なんて明治維新もびっくりの人権宣言的な単なるクロールで泳ぐやつだ。
最初からそれで泳げよ、とか言ってはいけない。
ルールなのである。
一人くらい別の順番で泳ぐなり自分で工夫して、水泳連盟に一石を投じる奴がいても良さそうなものだが、みんな大人しい。
四人の場合はまだそれほどでもない(適材適所といえなくもない)が、一人で四種類の泳ぎをやってしまうのは、「なんであんなことしてんの?」と尋ねる子供にどう説明したら良いか困ること請け合いだ。
このワン・センテンスにエンタテインメントの風を吹き込んだと同時に、本編のタイトルを既に消化した感がある。
このように最初から猛ダッシュしておけば、あとは気ままに進められる、というものである。
そういうわけで(きっと理由などさっぱりわからないと思うが)、『帰ってきた水柿君』である。
どこから帰ってきたのかといえば、それはウルトラマンと同じく極秘だ。
ウルトラマンの場合は秘密ではないぞ、と主張する人もいるだろう。
けっこうなことである。
さて、いきなり、水柿君と書いてしまったのだが、彼がこの小説の主人公だ(タイトルを見たらわかりそうなものである)。
もう少し掘り下げると、水柿君は犬ではない。
人間である。
今さらこんな説明は不要だ、というコアな水柿君ファンもいるかもしれないが(全国に六人くらいはいると期待している)、おおかたの人はここで初めて彼を知ることになる(そういう人はきっと、これっきりになるだろう)。
常に新たなファンを開拓する。換言すると、常に新たなファンに買いたくさせる(単なる駄洒落か)ことが作家の使命である。『星星峡』は誌名である。
係り結びか(やめておけ)。
しかし、読み終わってしまえば、本から視線を上げると同時に、ふっと現実世界に立ち返り、虚構世界のイメージは煙の如く消え失せるだろう。すっかりなにもかも忘れてしまえるのが小説。
だから、その中の登場人物(もちろん架空の人物にほかならない)が、過去にどんなことをしてきたのかを、すなわち彼の歴史を、だらだらと解説したところで虚しい。どうせ作家が締切に追われ、ごく短い時間で適当に捏造した歴史なのであるから、そんなものを真面目くさって書いても(あるいは読んでも)始まらない。
それに、本気になって書こうものなら、人の歴史なんてそれこそもの凄い量になるわけで、本当に話が始まらなくなってしまう恐れがある。
まさに今、そんな恐れを感じている入(この原稿をもらった担当者とかである)もいることだろう。だが、原
稿料は同じなのだから、この手法をときどき使っている有名作家は多いと聞く。
また、いざというときのために温存している有名作家予備軍はもっと多いにちがいない。
これは、超合金ロボットが実は超合金などでは作られていないことと同じくらい確かなことである。
しかし、書いておこう。
急に書きたくなった(誰が?)。
水柿君は年齢が三十三歳、現在、国立大学の工学部建築学科の助教授である。
彼の風貌やプロフィールについては、『工学部・水柿助教授の日常』をご参照いただきたい。
ついでに、『女王の百年密室』という本も、水柿君とはまったく関係がなく、その対比が際立つ一作として話題を呼ぶことが一度くらいあっても良いと思うが、思いの外、世間は正直だ。
ここまでの物語で、水柿君はNASAの宇宙飛行士の募集に果敢に応募して合格、厳しい訓練ののちスペースシャトルに乗り込み、途中でミールに乗り換えて太平洋に軟着陸をする、という離れ業を演じたり、あるいは、イギリスの情報部のスパイとして、携帯ストラップに仕込まれた
小型CCDカメラを敵のアジトに置き忘れてきた振りをしたり、ワンゲル部員として「ぶいぶい」言わせた若い頃の経験を活かして、エベレスト登山隊の卓球班長として、クレバス越しに果敢に連続スマッシュを打ち込んだり、さらに、パリの街頭でダライ・ラマの真似をしてパリジェンヌやパジャマでオジャマやパジェロニ・・二などから拍手喝采を浴びてリンスインシャンプーしたり、といった大冒険を果たした、とつい最近のことだが小耳に挟んだ。ダンボには小耳はないし、王様かロバでもないかぎり、小耳に挟めるような物体は普通は知れているだろう。
ただ、だんだん、お茶の水女子大学の哲学者に近い雰囲気を醸し出している感もなきにしもあらずなので、この辺りで】踏ん張りして、秩序を取り戻したいところである。
軽く咳払いしつつ−…。
水柿君は二十四歳のときに、二歳年下の須摩子さんと結婚し、現在に至っている。以来九年間、特に大きな変化はない。
地球の自転速度も相変わらずだったし、海面も思ったほど上昇していない。
水柿君夫婦の生活は淡々と、平々凡々に、蒜なく続いている。一度、勤務先が変わったために引越をしたことが変化といえば変化である。それなのに、よくもこれまで五話も書くような内容があったな、と回顧されるが、本当に想像力の賜といって良い。今でも不思議だ。
「そこがミステリィだ」などといったオビの煽り文句、あるいは、安い書評のようなことは言うまい(しまった。もう言ってしまったぞ)。
そんなわけで今回は、水柿君の人生に訪れた転機について、スポットライトを当ててみたい。
ちなみに、使ってみたかった常套句ベスト・テンをすべてこの節で使用した。もう思い残すことはない。

(本文P. 5〜7より引用)



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