あのひとのことを考えると、わたしの呼吸はため息に変わる。
十六歳だった。
あのひとに出会うまで十六年もかかってしまったという気持ちは、後悔に少し似ている。
眠れない夜よりも長いわたしのため息は、いつか、あのひとに届くのだろうか。
わたしは鳩の鳴き声を聞いていた。雨のふる日は、旧い校舎の廊下の壁から鳩の鳴き声
が聞こえてくる。ひとの近づく気配を感じ、わたしは壁から耳を離した。向こうから、
四、五人の集団が歩いてくる。笑っているなかに、懐かしい顔があった。なぜ、懐かしい
のかわからなかった。すれちがったあとで振り返ると、二日前のできごとがまぶたの裏を
過ぎていく。
わたしはプラットフォームへの階段を駆け上がっていた。空がぶれながら大きくなっ
た。車ひだのスカートが腿にまとわりつき、埃のにおいも立ってきて、どちらもひどくわ
ずらわしかった。乗るはずだった電車の出発時間が迫っている。改札時問は終わったばか
りだったので、まだ、間に合うかもしれなかった。視界の右すみに山吹色の電車が入って
きた。もう、動き始めている。わたしの足が遅くなった。轟音をひびかせ、加速する電車
を横目で見ながら、最後の数段をゆっくりとのぼった。プラットフォームにでたら、ひと
りの乗客がせりだして見えた。最後尾。乗降口。ガラスにこめかみをあてているひとがい
る。目が合った、と、思ったら、電車が走り去った。風を吹きあげ、わたしの前髪をあお
っていった。
あのひとだった。あのひとも振り返っていた。目で驚ぎ、目で笑い、かぶりを振って、
首をもどした。その横顔をわたしは見ている。からだが前に傾いて、床が湿った音を立て
た。手の甲をひたいにあてて、うつむいた。斜めに目を上げると、向かいがわに窓があ
る。六月の夕方だった。空はまだ明るかったが、遠くのほうに深い青がひそんでいた。ぼ
やけて見えるのは、わたしの目に水の膜が張っているせいだ。まばたきをしたら、涙が落
ちた。
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