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 肝、焼ける
著者
朝倉かすみ/著
出版社
講談社
定価
税込価格 1,575円
第一刷発行
2005/11
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ISBN 978-4-06-213218-3

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第72回小説現代新人賞受賞作 山田詠美氏 絶賛!!
 
肝、焼ける 朝倉かすみ/著

本の要約

歳下で遠距離恋愛中の彼氏に会うために、こっそり訪れた稚内。地元の人たちの不思議なパワーのおかげで、もやもやした気持ちが変化していく。「肝、焼ける」―激しいじれったさを表す方言が、真穂子を新たなステップに駆り立てた!?30代独身女性の「じれったい気持ち」を軽妙に、鮮烈に描く第72回小説現代新人賞受賞作を含む短編5作を収録。



オススメな本 内容抜粋

左方向からバスがきた。白い車体に赤い線がはいっている。ノシャップ行と書いてあっ
た。遠ざかるバスにつられて首をひねる。ひねりきったついでに上半身をねじり、いまき
た道をふり返った。砂利の小道だ。小手をかざすまでもなく、三階建てのコーポが見え
る。バス通りに視線をもどした。バスがきたほうにも、向かった先にも用事がない。道路
をわたると、コンクリートの建物に突きあたった。
「ゆ」と、朱色に染めた紺の暖簾が引き戸にかかっていた。その上に青いひさしが差しで
ている。青いひさしは瓦ではなく鉄板だ。建物の背後に、山を切り崩したとおぼしき急斜
面が迫っている。
ふむ、銭湯か、と、ひとりこちた。髪に指を入れると、地肌が熱をもっていた。陰気に
湿気がこもっており、なんだか、痒い。指先に皮脂がついた。太ももでぬぐうと、ジーン
ズの生地が厚ぼったく触れた。ほこりが垢じみた膜をつくっている。きのうの夜は札幌に
泊まった。朝一番の列車に乗り、五時間揺られて稚内に着いたのは一時すぎだ。
駅で降りて、地図を買うのにまず手間取った本日だった。駅前で、ひとに尋ねて知った
本屋が見あたらない。いきすぎて、ひとに訊き、またもどった。本物のバイクをディスプ
レイしている本屋なんて聞いたことがない。バイク屋と思うではないか。
地図を片手に国道を歩いていると、頭皮と腋の下に汗をかいた。北の快晴は湿度が低
く、暑いのに顔に汗はほとんどかかない。そのくせ、くちびるは乾いてひびがはいりそう
になる。コンビニエンスストアに寄った。リップクリームは品切れしていたので、蜂蜜に
する。レジにいくと「灯油、あるかい」と先客が店員に訊いていた。ありませんとの即答
がくる。そりゃそうだろう、七月だしコンビニだしと思っていたら「このあいだまで置い
てあったんですけどね」と店員がいった。
手洗いを借りて、蜂蜜をくちびるにぬった。顔がむくんでいた。ゆでだこのようだっ
た。むきだしの顔面は平坦で、わたしのイメージするわたしから遠い。ゆでだこの分際な
のに、ちょっとしたものだという自惚れが鏡に映る顎の角度に見え隠れする。この顔は
嘘。その証拠を探してみるが、化粧をしていないだけだった。国道を歩く。屋並が切れる
と、左手に船が迫っていた。ものすごく、港が近い。そして青い。真っ青なさざ波が立っ
ていた。風が潮の香りを運んでくる。潮の香りというか、魚の干物のにおいである。日灼
け止めも買えばよかった。ホームセンターをすぎたところで帽子を買えばよかったと思っ
た。
地図は複雑に折りたたまれており、追い風を受けており、道みち確認するたびに難儀し
た。蜂蜜をぬったくちびるは突っ張りかげんに保湿され、舐めると甘い味がする。しけた
商店の店先で冷たいガラナをのんだ。御堂くんの住所を店の奥さんに尋ねると、どこから
か旦那がでてきて、ふたりでてんでに説明しはじめる。ミサワさんとこを曲がるんだよと
か、一本いってからガソリンスタンドを目印にしたほうがわかりいいとか、揉めに揉め
た。いやもう、なんでもいいですから。ほんと、手っ取り早くお願いします。とはいえ
ず、ふた通りの道順を聞いた。
そんなこんなで、もうすぐ五時だ。銭湯でちゃっぷりするのもわるくない。ガラスのは
いった真んなかびらきの引き戸を開け、薄っぺらいドアのノブをまわした。
飛びこんできたのは素っ裸の老女たちだ。床に直座りして足を投げだし、談笑している
ばあさんが三人。
ばあさんたちは、腰かけ台の脚にもたれていた。その横にマッサージ器が二台ある。う
ち一台は按摩をするボールがない。むかしの髪結いさんによくあるおかまもあった。おか
まに向かってロッカーと下駄箱が整列している。下駄箱の側面から二段さがって土間があ
る。わたしはそこに立っていた。
視線を察知して見あげると、番台のじいさんと目が合った。黒縁の老眼鏡は若干さがり
ぎみで、残り僅少の髪の毛が頭頂部でゆらめいている。どこからか風が起こっていた。浴
室の手前のファンに気づいた。箪笥ほどの大きさである。
「はい、おねえちゃん、ごめんね」
体あたりをくらって、よろけた。睨んでやろうと思ったが、相手はこちらをふり向きも
しない。頬のあかい五十がらみの女だった。番台に小銭を置いたと思ったら、つっかけを
脱いだ。

(本文P. 7〜9より引用)

 

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