序章
舎房のスピーカーがラジオを流し始めた。まだ布団から出るわけにはいかない。起床のチャイ
ムは十五分後だ。その前に起き出したら、動作時限違反で懲罰になる。
ラジオが言った。
「八月六日、木曜日の天気をお伝えします」
木曜日と聞いて胸の内が騒いだ。毎週木曜日になると、今日がその日ではないかと期待する。
そろそろのはずだ。この二、三週間、そのことばかり考えている。今日だ。今日こそ目的を遂げ
るのだ。
私は川越少年刑務所所管の熊谷拘置支所にひと月収容された後に、市原刑務所に移送されてき
た。道路交通法第六四条に違反した罪で懲役九月。無免許運転である。川越少年刑での分類審査
期間を無事にやり過ごすことができたから、交通刑務所への移送は予定通りだ。交通刑務所は全
国に二つしかない。千葉県の市原刑と兵庫県の加古川刑交通区だ。加古川刑交通区の収容定員は
市原刑の四分の一程度であるから、関東で起訴された者が兵庫に移送されることは、まずない。
市原刑の仮釈放決定率は極めて高い。仮釈放にならないのは、身元引受人が決まらない者ぐら
いで、ほとんどの受刑者が刑期満了前に出獄していく。市原の刑務官たちは、全員の仮釈放を目
指して、身上調書の作成をしているので、必然的に仮釈放の決定率が高くなっている。
仮釈放の許可を決定するのは、地方更生保護委員会だ。高等裁判所の管轄区域に合わせて、全
国に八つの更生保護委員会がある。埼玉県を管轄する関東地方更生保護委員会には、既に私の仮
釈放の申請が出されているはずだ。このまま何も企まずにいた場合、私はヨンピンになりそう
だ。ヨンピンというのは、四分の一のことで、刑期の四分の一を残して仮釈放になることであ
る。刑期の三分の一を残して仮釈放になる者もいる。サンピンだ。
仮釈放が認められると出所班に編入になり、鍵のない舎房・希望寮に転房になる。希望寮で一
週間過ごして仮釈放の出所式を迎える。出所式は毎週木曜日だ。
毎週木曜日には、希望寮の者たちが出所していくので希望寮の部屋が空く。希望寮の空いた部
屋には、新たに仮釈放が決まった者たちが入る。その者たちがいた開放寮の居室には、準開放寮
にいた者たちが転房していく。準開放寮の空いた居室には、新入寮の者が転房になっていく。新
入寮の舎房には、他の刑務所で移送待ちになっていた者たちがやってくる。空房になった所に、
心太式に転房が行われるのである。私は、あの男が準開放寮から開放寮に転房になるのを、毎
週心待ちにしている。
市原に来て四ヵ月半が過ぎた。
移送されてきたのは、三月の中旬だった。処遇管理棟に入ってすぐに、舎房着に着替えさせら
れた。領置する私物を確認し、顔写真を撮られ、十指の指紋を取られた。洗濯工場で官給品を渡
された。下着、パジャマ。石鹸、髭剃り、歯ブラシに歯磨き粉。手拭いタオル、ちり紙。それら
をシーツに包み、ふかふかの真新しい布団と一緒に新入寮に運んだ。
最初の二週間は独居房で過ごした。団地サイズの小さな畳三枚の部屋。奥に一畳ほどの板間が
あった。板間ではトイレと洗面台が向き合っていた。
最初に覚えさせられたのは、布団の畳み方だった。掛け布団を縦に二つ折りにし、さらに横に
二つ折りにする。その上に敷布団を三つ折りにして重ねた。綿がたっぷり入った真新しいふかふ
かの掛け布団に、重い敷布団を乗せた。綿をすぐにダメにしてしまいそうな気がするが、そうい
う規則だから仕方がない。刑務所の規則に実用的な意義を求めるのは無意味だ。規則は遵守する
ことに意義がある。
新入教育工場には二週間出役した。学校の授業のように時間割が組まれていた。「生活のしお
り」をテキストにして、刑務所内の生活に必要な決まり事を学んだ。 |