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 おいしい水
著者
盛田隆二 /著
出版社
光文社  光文社文庫
定価
税込価格 720円
第一刷発行
2005/01
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ISBN 4-334-73812-5
 
あなたにとって結婚は“おいしい水”ですか。
 

本の要約

同じマンションの主婦仲間と子育てに勤しむ三十歳の弥生。夫の微妙な変化に気付きながらも、社会との接点を求めて、タウン紙のライターを始める。そこに、新たに入居した隣人のあけすけな言動が、平穏だった日常をねじれさせていく…。リアリズムの名手が切実に描く、人生の岐路に立つ女性の“渇き”と“癒し”。あなたにとって結婚は“おいしい水”ですか。



オススメな本 内容抜粋

二〇〇一年四月 新しい隣人

美樹ほ洗面所の鏡の前で、もう十分以上も髪をとかしつづけている。耳の上で跳ねた毛先がよほど気になるのか、不満げに頬をふくらませ、鏡の前から動こうとしない。
上原弥生は求人広告のチラシから顔を上げ、「お帽子かぶれば直っちゃうよ」と声をかけた。
「だめー、こんなんじゃ笑われちゃう」
美樹は首を横に振り、いまにも泣きだしそうに顔をゆがめた。
「大丈夫、だれも笑ったりしないから」
弥生はそう言って、ふたたび求人広告に目を落とした。
歯科医院の受付事務、コンビニの店員、化粧品の訪問販売、野菜の加工とバッケージ、ビジネスホテルのルーム係……。
自分にもできそうな仕事がいくつかあるが、美樹が幼稚園に行っている時間しか働けない 比較的時間の融通がつきそうなダスキンの交換業務は、車の持ちこみが条件になっているので夫の大樹が嫌がるし、〈短時間でも歓迎〉と書いてあるファミレスの調理補佐も、面接に行けばやはリフルタイムで働ける人が優遇される。弥生はため息をつき、壁の時計に目をやった。
すでに八時五十分をまわっている。
「ねえ、美樹ちゃん、もう時間!」
弥生は園バッグを手にとり、美樹を急かして家を出た。
「どうしよう、みんな先に行っちゃったら」
濃紺の園服に身を包んだ美樹がふたたび泣きそうな顔をした。
「どうしたの、いつからそんなに甘えっ子になったの?」
弥生は開放廊下を歩きながら、美樹の顔をのぞきこんだ。
「違うよー」と美樹は口をとがらせた。「甘えっ子じゃないよ、美樹は」
管理人室の前まで来たとき、クリーム色のお迎えバスがマンションの駐車場に入ってくるのが見えた
。園児たちとその母親はすでに全員集まっている。
「ほら、あぶないから、走らないで!」
弥生は思わず大きな声を出した。美樹はエントランスの階段を勢いよく駆けおりていく。
「おはよう、美樹ちゃん!」
エブロン姿の南香代子が手を振りながら声をかけてきた。香代子のマタニティウェアのお腹はキャベツを入れたようにふくらんでいる。
「すみませーん、遅れちゃって。寝癖がなかなかとれなくって、もう嫌んなっちゃう」
美樹は大人びた口調で返すと、髪を押さえつけるように帽子をかぶり直した。
弥生は苦笑しながら、香代子に会釈をした。
「ねえ、上原さん?」と香代子が目尻だけで笑った。「美樹ちゃんたら、ママより色っぼいんじゃないの?最近」
「ほんとにね」と弥生は肩をすくめた。「ついこのあいだまで赤ちゃんだったのに」
伊勢しのぶが足早に近づいてきて、皮肉っぼくあごをしゃくりあげた。
「ちょっと見てよ。うちの岳人なんて、まるで赤ん坊のまんま。あんなんやったら女の子によう相手にされへんわ」
流行りの犬型ロボットのように四つんばいで駐車場を動きまわる息子に目をやり、しのぶは綿シャツの袖をまくりあげた。すらりと背の高い彼女は細身のパンツがよく似合う。
「ううん、岳人くんのこと好きみたいよ、美樹。おもしろいし、すごくやさしいって」
弥生はそう言いながら、少し離れて立っている大光寺千鶴に気づき、軽く頭を下げた。
だが、千鶴は腕組みをしたまま小さなあくびをひとつしただけで、にこりともしない。
彼女は先月の末、このマンションに越してきたばかりだった。
同じ一階なので廊下でよくすれちがう。こちらから挨拶をすれば目礼ぐらいは返してくるが、それにしてもいつもそっけなかった。
「はーい、きょうはお名前列車で行きまーす」

 

(本文P. 7〜9より引用)


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