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 僕のなかの壊れていない部分
著者
白石一文/著
出版社
光文社
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2002/08
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ISBN 4-334-92363-1
 
強烈な個性を持つ男の女性関係を描き、小説の大きな役割に真っ向から挑んだ著者の最高傑作。
 

本の要約

松原は出版社勤務の多忙な30歳。恋人の他、人妻、離婚歴のある子持ちの女性と関係。特異な過去を持つ男の生き方を通し人は何のために生まれてきたかを問う。

 
白石一文  しらいし・かずふみ

1958年、福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、出版社勤務。’00年、デビュー作「一瞬の光」は批評家の絶賛を受ける。
魅力的な物語を創りながらも、何が大切かを読者に問い、小説の大きな役割に挑む。著書に、「不自由な心」、「すぐそばの彼方」(いずれも角川書店)



オススメな本 内容抜粋

十一月十日金曜日、僕と枝里子は京都へ行った。
日中からとても寒い一日で、夕方六時発の「のぞみ」に乗ったのだが、東京駅の新幹線ホームで北風に吹かれて枝里子を待っているあいだに身体がすっかりかじかんでしまうほどだった。
その日は僕の二十九回目の誕生日だった。
しかし、この小旅行は、僕の二十代最後の年の始まりを共に迎えるというイベントだったわけではない。
二人の休みの都合がついたのがその週末であり、それがたまたま誕生日に当たっていただけのことだ。
京都駅に着いたのは午後八時十四分。
それからタクシーで移動し、河原町にある古いホテルにチェックインすると、街の夜景を一望におさめる展望レストランで、僕たちは初めての旅行を記念して乾杯した。
残念な話だが、枝里子にとっての僕はすでに二十九歳であり、この夏には高価そうなサマーセーターもプレゼントされていたから、誕生日のお祝いをしてもらうことはできなかった。
なぜそんな馬鹿なことになっているかといえば、昔から僕には話のついでにささいなウソをついてしまう習癖があるからだ。
枝里子と知り合った最初の頃、よくあることだと思うが、互いの星座の話になって、僕はつい出来心で枝里子の星とめぐり合わせのよい夏の星座を誕生日に選んでしまった。
いつかまた話のついでに訂正したいとは思っているのだが、案外そういう小さな好意的ウソひとつでも、事実でないと知ると妙に本気になって考え込む人も多いので、何となく無駄な気が働いて本当のことがまだ言えないでいる。
それに、この旅行はそもそも僕のささやかな悪意の産物でもあった。
旅行はすべて僕が企画し、車中での検札も勝手に済ませたので、枝里子は駅に着くまで目的地を智ないままだった。
だから、京都駅で降りるとき彼女はち“と困惑の色を見せた。
丁寧に観察していたので、普通なら決して気づかないだろう、そういう幽かで瞬間的な表情や物腰の変化を僕は見逃しはしなかった。
ホテルで食事しながら、
「明日はどこを回ろうかな」
僕は枝里子に訊ねた。
「きみは京都は詳しいの?」
「ぜんぜん。だから、あなたにまかせるわ」
と、ここでも枝里子はやや目を逸らすようにした。
「そう。だったら明日は僕がじっくり京都案内してあげよう。紅葉もそろそろ盛りだろうしね。京都は学生時代によく遊びに来たんだ」
「そうなんだ、初めて聞いたわ」
「まあね」
アルバイトに明け暮れた学生時代に、僕が京都なんかに遊びに来れたはずもなかった。
「だけどさ、きみの方が詳しいのかと思ってた」
「どうして?」
「だって、撮影なんかでよく来てるんじゃないかと思って」
「そんなことないわよ。たまーにって感じだし、仕事のときはほとんど日帰りで、ろくに街を歩いたりしないもの」
「ま、そりゃそうだね」
僕は頷いた。
実のところ枝里子は最近まで京都に頻繁に来ていたはずだった。
二年前に別れた恋人が京都に住んでいるのだから。
その元恋人は売れっ子のグラフィックデザイナーで、ここ数年ずっと京都芸大の講師を務めながら、たくさんの媒体に作品を発表しつづけている。
麸屋町あたりの古い町家を一軒借り上げてアトリエとし、優雅な芸術生活を嗜んでいるのだ。
ちょくちょく雑誌やテレビにも登場して京都暮らしの纏蓄など語っているから、僕と同じくらいの年回りのくせにちょっと小太りであごひげなどたくわえた、そのいかにもの容貌と雰囲気は否応なしに目につく。
といって、僕は別に彼のことが嫌いなわけじゃない。
話したこともなければ直接顔を見たこともない相手を好きにも嫌いにもなれるはずがない。
ただ、こんな男と三年近く恋愛関係にあった枝里子のことは、「どうかしている女だな」と内心で思っている。

(本文P. 3〜5より引用)


 
白石 一文 の本
BOOKSルーエ詳細
  見えないドアと鶴の空  詳細 光文社 1,500 2004年2月
  一瞬の光   角川書店 743 2003年8月
  草にすわる  詳細 光文社 1,300 2003年8月
  僕のなかの壊れていない部分  詳細 光文社 1,500 2002年8月
  すぐそばの彼方   角川書店 1,500 2001年6月
  不自由な心   角川書店 1,700 2001年1月
  一瞬の光   角川書店 1,800 2000年1月

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