吉本ばなな 自選選集 ・ love ・
 
 
  人が人を好きになるということの美しい真実  
著者
吉本ばなな
出版社
新潮社
定価
本体 1800円(税別)
ISBN4−10−646302−4
デビュー以来の小説を著者が選び、テーマ別に編集。吉本文学の全貌を全四巻に集成した決定版作品集。

 

目次

白河夜船

ハチ公の最後の恋人

ハチ

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

終わり、はじまり

ハネムーン

まなかの庭

釜あげうどん

解放

なにもない日々

花束

二回目のハネムーン

夢・コアラ・夜の海

島、イルカ、遊び

大川端奇譚

ミイラ

バブーシュカ

私とラブのあいだには

・・・・あとがき

 

書き下ろし短編小説

バブーシュカ

 

そんなに喉が痛いわけではないのに、その風邪にすっかり気管支をやられてしまったらしく、 朝から少しずつ、声が出なくなっていった。痛みがないぶん、自分から声が抜け落ちていくよう な不思議な感じがあった。冬独特の、柔らかくどんよりと曇った寒い日だった。朝から灯油ストーブをがんがんつけていたので、窓はしっとりと曇っていた。やかんから湯気が音をたてて立ちのぼり私の喉をしめらせているはずなのに、いっこうに声は出るようにならないばかりか、どんどんかすれ声さえ出なくなっていった。TVを見て笑ったり、ものを落として「あっ」という時にも音が出ないなんてなんだか面白かった。喉飴をやたらになめながら黙っているうちに、ついに雪が降ってきた。

なんだかふっと静かになったと思ったら、外でどこかの子供の「雪だ!」というはしゃいだ声が聞こえてきた。窓をぎゅっと手のひらでふいてみたら、曇った空から、空と同じような色の白っぽい雪がひらひらと落ちてきているのが見えた。遠くのビルの上のほうも、となりの駐車場に止まっている車も、どんどんかすんで灰色に染まっていく。それを見ているうちに、私の心の中までどんどん静かになっていった。まるで雪が外と内側と両方に降っているようだった。たったひとつのつぶやきくらいまで、全部雪に吸い込まれていった。いっしょに住んでいる人のお母さんが心臓発作で死んだのは、去年の秋だった。

母ひとり子ひとりの親子だった。お母さんは絵描きで、ものすごく変わった人で人と会いたがらない人だったので、彼とつきあいの長い私でさえ、数回しか会ったことはなかった。会うときはいつもいい人 だったし、やさしかった。死ぬまで若い男の人と絶え間なくつきあい続けた豪快なおばあさんだった。 お母さんについては、なんとなく私が入っていってはいけない歴史の重みを感じて、彼と暮らしはじめてからずっと、あまり深くたずねたことはなかった。

彼はよく、世の中ではやっているようなトラウマもないし、愛情に飢えていたわけでもないし、マザコンでもないよ、と言っていた。その言葉に嘘はないと思う。ただ、とても静かで、わりといつもそれぞれのことをやっていた家だったんだ、と言った。私に会うといつもお母さんはとてもおしゃべりで、明るくて、ちょっと神経質で、華やかでおしゃれだった。でも彼はそれを外向きの顔なんだ、と言った。ふたりでいるときは、ほとんどお互いに何も話さなかったよ。それでも彼がお母さんをどれだけ大切に思っているかを知っていたので、私はどうやって彼をなぐさめてあげていいかさっぱりわからず、欝状態におちいっていることを知りながらも、どうすることもできなくて困っていたところだった。いつも私はやりすぎてしまうんだなあ……と次々に舞い降りてくる雪を見ながら私は思った。

なぐさめようとしてさりげなくおいしいものを作ったり、食べに行こうとさそったり、面白い話があったら伝えたり、気をつかいすぎて全然話しかけなかったり。そういうふうに不自然にふるまっていると、ただでさえ落ち込んでいる彼がいらっとなるのが、最近はわかるようになってきた。私を失ったら彼は本当に今、天涯孤独になってしまう。でも今、彼はひとりでいたいのだろう、と思う。かと言って、旅行でも行けば、とか私が実家に帰っていようか、と言っても彼は怒ってそんなに俺の暗いのがうっとうしいのか、という始末だった。

やつあたりされて、甘えられているのだということはわかっていたが、私もどうしていいのかよくわからない。お母さんと彼の結ぴつきを知っているだけに、夜中にじっと目を開けて天井を見ている彼を見ているだけに、そっとしておいてあげるしかできないのだった。そんなとき、言葉がどれほど害になるか、私は身をもって知ることになった。それがどんなに思いやりを持って発せられても、言葉はすべて強すぎて、まるで毒みたいに、弱った彼の心をむしばんでしまう。たまに会うなら、じょうずに気持ちをおさえて、ここぞというときにいちばん優しいことを言ってあげられるかもしれない。でも生活の中で、不安定な心の彼にいつも上手に接するのはむつかしかった。放っておくのがいちばんだとはわかっていても、つい、いろいろしてしまうのだった。本文P.343〜345より

 

 

吉本ばなな自選選集全4巻

0ccult オカルト

アムリタ

ある体験

血と水

ハードボイルド

血の色(書下ろし)

 

Loveラブ

白河夜船

パチ公の最後の恋人

ハネムーン

大川端奇譚

ミイラ

バブーシュカ(書下ろし)

 

Deathデス

キッチン 満月・・・キッチン2

ムーライト・シャドウ

N・P

ハードラック

野菜スープ(書き下ろし)

 

Lifeライフ

TUGUMIつぐみ

とかげ

おやじの味

新婚さん

ひな菊の人生

哀しい予感

ある光(書下ろし〕

 

 

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